短編小説

□「SS」
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  「見つけて」



「行って来ます」


 そう言って後ろで戸を閉めるとすぐに開いて、やっぱり一緒に行くと話すおっかさんの肩に手を置くと、薬を貰いに行くだけだからと言って歩き出した。
 体の弱いおっかさんは季節の変わり目になると体調を崩し、草履屋の店番も出来なくなる位に体調が悪くなる。


 だからそんな月になると私の他、手伝いの人も店に出る。
 でも薬を受け取りに行くのはお医者さんとの話もある為、どうしても頼めない。


 その事情はおっかさんも充分わかっているけれど、店を閉めた後に行く為、かなり心配している。
 というのも二月前からよくない噂が広まっていて、何人も被害に合っているからであった。


 だけどわかった事もあって、歯向かわずに命乞いをすればいいとか、恐れず転倒しなければいいとか、火縄の匂いがすると逃げて行くという話を聞いた。
 そして声をかけたり落ち着いて煙草を吸ったりすると、襲われる事なく家まで送ってくれるという。


 お礼に好物の食べ物や草履の片方などをあげると、満足して帰って行くという事までわかった今では、ほとんどの人は身を守る方法を心得ていた。
 それでも辺りが暗くなってから出かけるのは怖くて、いくら足元を照らしていても安心できない。


 ただ夜の山道や峠道を歩かなければ出合う事はないけれど、薬を受け取りに行くには山道を通らなければならなかった。
 それが一番こわくて緊張するだけに、自然と早足になってしまう。


 ―― 夜道を行く人の頭上を、何度も飛び越すんだって。いや、私は後をついて来るって聞いたよ。――

 家の前で手を顎にあてて、そう話していた近所のおばさんたちの話を思い出した。
 すぐに頭を左右に振ったところで怖さはなくなる事はなく、身体中が耳になったように辺りの気配に気を配る。


 いつもだったら考え事をしながら歩くとあっという間につくのに、今日は歩いても歩いてもつかない。
 まるで狐に騙されているようで、いっそう不安になって走り出した。


 とその時、頭上の方から風が吹いたような気がして見上げると、上空に狼のような動物が走ってるのが見えた。
 もしかしたらこの獣が“送り狼”なのだろうか。


 犬の二匹分ほどの大きさに叔父さんが山で捕まえたのを見せてくれた狼と何ら変わらないそれは、間違いないと思った。
 と同時に身体が震えだして、歯ががちがちと鳴り足が震えている事に気付く。


 でもここで転んではいけないと自分に言い聞かせながら、ゆっくりと右足を前へ出す。
 すると震えが止まらないうちに動き始めたせいか怖さからか、あっという間に転んだのだった。


 ―― 転んだ人を、喰い殺すんだそうだ。怖がって転んだ人に、喰らいつくって聞いたぞ。――


 山道へ歩いている時に聞いた言葉を思い出すと、肩まで震えた。
 転んでしまった今、殺されるか喰われるしかないと思うと、怖くて涙が出てくる。


 そして一人で来た事を後悔していた。例えすぐに終わる用事でも、店の人と来ればよかったと。
 そんな事を思っても仕方ないと考えながら、手の甲で涙をふいて空を見る。


 送り狼は確かに空の上に浮かんでいて、私を睨んでいた。
 その目は赤く充血して、怒りに満ちているように見える。


 十五歳という若さで所帯を持つ事もなく、狼に喰い殺されるなんて。
 そう思うと怖くて悔しくて、後から後から涙が出てきた。


 両親に親孝行したかったし美味しいものを食べたかったし、芝居というものも一度は見てみたかった。
 それなのに何も出来ないまま叶わないまま、死ぬなんて嫌だと思った。


 そして狼の方を見ると空から降りて来る事はなく、ただじっと見ている。
 その目は最初は怖くてたまらなかったけれど、次第に何か伝えたい事があるようにも思えてきた。


 初めて合った狼にそんな事を感じるなんて、怖くておかしくなったのかもしれない。
 ただ目の前の事から逃げたくて早く解放されたくて、都合よくそう考えただけだろう。


 もう逃げられないなら覚悟を決めるしかない、そう思いながら瞼を閉じたのだった。



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