10/29の日記

17:46
不用意な言葉
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「薬、貰ってこようか……?」
気遣うように辛い表情を浮かべるゼオンシルトの背を擦りながらメークリッヒは訊いた。
彼等はいま船に乗船している。その船はいま現在エスグレンツとゴートランドを分断するように横たわる運河を航行していた。運河は北から吹く冷たい風で立っているのも困難なほど大荒れであった。
横殴りの雨が船体を叩き、甲板で弾かれた雨粒が足許を真っ白に染め、目を開けているのも辛い状況だ。昼間だというのに全てが雨にけぶり、耳朶を打つのは雨音と荒れ狂う波の音だけだ。
とは云え、嵐の航海は然程珍しいものではない。だが、慣れた者でもその中での航海は船酔いすると聴く。
よって、ゼオンシルトが体調を崩してしまうのは致し方ないことであろう。実際乗船している者の多くが彼と同様の症状を訴え医務室に運ばれ処方された薬によって眠りの淵にいる。
「いいよ……ここにいて」
ゼオンシルトは、腰を浮かせようとするメークリッヒの手首を掴んだ。
「だが……」
緩く頭を振って見せた彼の体調は見るからに芳しくはないことが、窺えた。
苦しいなら、苦しいと云えばいいのに。やせ我慢をしているのか、心配を掛けさせまいと無理をしているのか。それとも、弱っているところを、他の誰かに見られたくないのか。
彼は、気丈にもいいと云ってくる。
「確かにちょっときついけど、薬よりももっといい方法があるんだ」
「そんなものがあるのか?」
「ああ。でも、それは君に協力してもらわなければならないんだ」
してくれる?
悪戯っ子のような声は、抗い難い熱を孕んでいる。聴く者を虜にしてしまいそうな、甘美な声に、僅かにたじろぎそうになりつつもメークリッヒは頷いた。
「ああ、おれでよければいくらでも」
協力は惜しまない。
云い切ったその刹那。粗末な作りの長椅子に、押し倒されていた。普段となんら変わりのない俊敏な動作であった。
目が点になる。体調が悪いのに、そこまで動けるゼオンシルトに感服の念を抱いた。
「気持ちよくなればいい――ただ、それだけのこと、だよ」
覆い被さる男を、メークリッヒは困惑気味に見つめる。確かに気分が悪いのなら気持ちが良くなることをすればいいだけの話かもしれない。なら、具体的にどうすればいいのかなんてわからないけれど、この状況は非常にまずいような気がする。
何がまずいのかもこういう時の対応もわからないが、
「ゼ、ゼオン……」
ごく自然な動作で近付いてきた彼の口唇をメークリッヒは寸前のところで押し止めた。
「いや?」
止められるであろうことはある程度想定済みであったゼオンシルトは次なる手をと艶っぽい吐息をメークリッヒの耳腔に吹き込み、耳の輪郭を辿るように噛んでいく。ゆるく頭を振りやり過ごそうとしているようだけど、そうはさせない。
しつこくすればするだけ、メークリッヒの腰はぞくリと震える。
「……っ、いやっ……とか、そういのではなくてだなっ」
拒絶なら聴かない。聴いてなどやらない。
四の五の言わず自分のものになればいいのだ。恨むのならば、他人を疑うことを知らない自身の甘さを恨めばいい。
「んっ……んんっ!」
何かを云いたげな口唇を塞ぎ、するりと舌を入り込ませる。奥に逃げたかわいくのない舌を絡めとり、吸い上げる。
「ん、んんっ……は……」
震える場所ばかりを狙って擽り、逃げようとする舌をすぐに捕まえ、そして、嫌というほど舐め上げる。
「……っ……ふ」
口唇を離すと、蕩けきった黄金は、ほっと安堵を滲ませている。
誰が終わりなどと云ったのだろう。未知への恐怖と期待ならまだ知れず、安堵など浮かべられれば応えないわけにはいかない。
「まだ、気持ち良くはなっていないよ。メークリッヒ」
囁きと共に、ゼオンシルトは口付けの距離で顎先を舐め、噛み付く。
濡れた睫毛が揺れて、黄金の目がゼオンシルトを呆然と見つめた。
「いや……もう、いいだろ……?」
じりじりと、諦め悪く逃げようとするメークリッヒの頬の痣に口付けて。
「駄目。それに君が云ったんだよ。協力は惜しまないってね」
「――――ッ!」



-fin-

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