それは、反則
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糸鋸と御剣は狭い空間で向かい合っていた。
場所は地上より数十メートル、刻一刻と上昇し続けている。そして窓から見える景色は、緩やかな速度でだんだん小さくなっていく。
糸鋸は腕に抱えて持っていたポップコーンのカップから中身を一掴み口に放り込み、次に御剣へと差し出した。向かいに腰掛けていた御剣は一個だけ指先でひょいと摘まんでから、視線でカップを押し返す。
急に目線が絡んだ糸鋸はビクリとしてから、慌てて取って付けたように窓の外を覗き込んだ。

「高いっスねー!まだ頂上に着かないのに」
「…そうだな」
「ココから落ちたら死んじゃうっスよね」
「…まぁ、万に一つも助かる可能性はないだろう。全体の大きさが約60メートル。落下時間が3.3秒と仮定して、地球の重力加速度が9.85m/s2だ。滞空時間を計算すると…」
「あああ自分、実は物理が苦手っス!!」

妙に生真面目な御剣の返答を糸鋸は慌てて遮った。
言うに事欠いて、一体何を質問してるのかと自分を責める。後に残るのは、全く盛り上がる兆しを見せない空気と、口を噤んでしまった御剣の横顔。
よく考えればいくら窓があり外がしっかり見渡せるとはいえ、狭く閉ざされた空間を御剣がわざわざ好むはずもない、とも糸鋸は思う。
幸い、風は凪いでいるが、不安定なことこの上ない。
今、御剣と糸鋸がいるのは、巨大な観覧車の一部であるゴンドラの中だ。
元々、糸鋸達を誘ってきたのは御剣の親友である成歩堂だった。2人の共通の友人がチケットを譲ってくれたらしい。
ところが手渡されたその4枚のチケットは期限がギリギリで、慌てて仕事帰りのその足で遊園地の門をくぐる事になった。
成歩堂が連れてきた真宵が一番最初に「アタシ、あれ乗りたい!」と指差したのがこの観覧車で、大の男3人がそれに異議を唱えるのも大人げない。
逆にこんな偶然でも重ならなければ、今の苦しくて嬉しいこの状況が生み出される事もなかったはずなのだ。
間がもたなくなった糸鋸は頭をポリポリとかいてから、二度三度と続けてポップコーンを頬張る。それからハッと気がついたように慌てて御剣に再びカップを差し出した。

「私はもういい。刑事が食べたいだけ食べればいい」

容器の上に軽く片手をかざし、やんわりと断りのポーズをとる御剣に対し、糸鋸は言葉を呑んでその仕草に見蕩れた。

―…やっぱり検事はカッコいいっス。

組まれた長い足先を彩る皮靴は、入念に手入れされていて黒く光る。
良いモノを身につけていてもそれが自然に持ち主に馴染んでいて、少しも嫌味じゃない。
糸鋸の太く短いものとは違うキッチリと整えられた指先。
その指先がカップの上から元の位置に戻り、肘をついた先で横顔を支える。
観覧車自身の電飾の光に仄かに照らされる御剣の容貌は、整った造作も相まって糸鋸の目には一瞬彫刻めいて見えた。
白い肌に長い睫の影が落ちて揺れている…。

「…刑事?…糸鋸刑事?どうしたのだ?」

御剣の髪の毛から爪先までを飽きずに繰り返し眺めていた糸鋸は、自分の名前を何度も呼ぶ声にハッと我に返った。無反応な糸鋸の態度に対して、心配そうな色を湛えた御剣の瞳がいつの間にかじっとこちらを見ている。

「検事…」

そんな表情もまた魅力的だ。と、糸鋸はぼんやり考えながら、作ってしまった妙な間を埋めるために三度カップを突き出した。

「一緒に!検事も遠慮しないで好きなだけ食べて欲しいっス!」
「別に遠慮などしていないのだが…」

そもそも私が買ったモノではないか…と、呟きながらも糸鋸の迫力に押されて諦めたのか、カップを受け取るために御剣もしぶしぶと両手を差し出してきた。

「あ!」
「…む…」

"パシャン"

2人が声を上げた直後に、ゴンドラの床はポップコーンで埋めつくされた。お互いの手をすり抜けていったカップが、容量のほとんどを吐き出してゴンドラの隅へと転がってゆく。
糸鋸はそれを横目で追い、ゆっくりと御剣に視線を戻す。動揺が浮かんだ表情で御剣も倒れたカップを追っていた。

「み、御剣検事…?」

緊張を孕んだ空気。やはりエレベーターと地震が苦手な上司兼恋人にこの状況は酷だったのか…と考える糸鋸の目の前で、突如向き直った御剣が叫んだ。


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