寝る

□ただしい生き方
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思って、気付くとそう言っていた。
幼くして母親になった目の前の少女はびくりとして、彼女が手に持っているアイスミルクのグラスを震わせる。
脅えたようにこちらを見て。その腹に宿る命を否定されまいと。

彼女が母と同じなのであれば或いは、ハルノとその赤ん坊も同じなのだろう。
正しく世界に産まれたくて、蹲って待っている。



「そうな、の…」
「ええ」
「………」
「最初は堕ろそうとしたらしいんですが、
ぼくがあんまり生きたいってうるさいものだから」


だから。

命がけで産み落とされた。





子宮の中からずうっと、生きたい生きたいと一生懸命に、ハルノが蹴りあげるものだから。

そう言った母の目はひどく無感動。
あの女は今朝、寝ているふりをしてハルノに言った。

せいぜい体には気を付けるのねと。

――生きたいんでしょ。



「だから、産んであげて」



ハルノは産まれてなお生きたがった。

母に愛されなくても父親がいなくても。
それはひとえにギャングのおじさんのお陰であるのだが、そのもっと深くに根を下ろしているのは母親で。
彼女はハルノを愛することもなく、しかし確かに、健やかにハルノを産んでくれて。



「多分そのこは貴方を恨まないから。

だから、産んであげてください」




考えもなく口を動かしていたら、彼女の目にうすく張っていた膜があふれて、ついにこぼれた。
しゃくりあげながらも頷いて、絶対産むのだと。



(泣かせてしまったな)


アイスティーが尽きる。
ハルノはナプキンで手をふいて、手を伸ばした。
ぽろぽろと流れる涙を指で掬う。
すると、それは花になって。

はい、と手渡した。


彼女はひどく驚いて、濡れた目をぱちくりと瞬かせる。純粋に、可愛いなと思った。
受け取ろうか悩んでいるようだったから、髪にそれを飾ってやる。

行かなくては。
ハルノは立ち上がり、重いトランクを持って背を向ける。



(ぼくはなぜ、あそこにいたのだろうか)



「それじゃあぼくはこれで」
「え?あ、あの…っ」
「何か?」
「な、なな、…えっと、そうよ名前!」





(少しだけお礼をしたかったからなのかな、)



(おかあさん)




勢いよく彼女が叫ぶ。

あなたの名前を聞いていないわ!

狭い店の中で声を張り上げて。
あまりに大きく元気な声に振り向いて、ハルノはその日初めて笑った。
太陽の光をあびた黒髪がかがやく。



「ハルノ」



すこしだけ、金色に。








**2008/08/27/
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