寝る
□ただしい生き方
1ページ/3ページ
ハルノはつい先ほど、母と別れたばかりだった。
車のクラクション。あちこちで聞こえる話声、電話のベル。ドアを開閉する音。知らない足音。青色の空。
すべてが太陽の光を浴びてひかっていた。
あの部屋は暗くて空気が淀んでいたから、彼女はきっと外がこんなに明るいだなんてしらない。
夜に起きて朝に眠って。
酒にびしゃびしゃにされたあの毎日は、こんなに正しくなかった。
自分はどうしてあそこにいたのだろうか?
今この時まで。ギャングのおじさんが来る前も後も、目的もなくあの場所で。我ながらひどく不思議に思って目を細めた。
正しい世界はまだ、すこし眩しいのだ。
これから暮らす寮への道は長く、街を歩いているその間、ハルノは先ほど見た母の背中を思い出していた。
少し離れたあの位置からでもわかる、アルコールの、毒のような香り。
飲み散らかしたウイスキー。
あの時さえ、彼女は何も言わずに体を横たえていた。
しかし聞こえる呼吸は起きた人間のもので。
ハルノは最後に、彼女の上にかかったシーツをかけなおして、言った。
さようなら。
もうこの背中を見ることもないのだろうと思った。
そして。静かにそう言ったその時に、母の、ハルノと同じ黒い絵の具をべたべたに塗ったような髪が。
少しだけ、揺れた。
ちらりと見たショーウインドウに映るハルノの髪の色は、思ったとおりのそれ。
いつだったか母の恋人は、彼をドブネズミと形容した。
ふうんと興味もなさげに返したらすかさず殴られて。
ああほんとうだ。べたべたに黒いものな。
その拍子に、なんとなく納得してしまった。
そしてそのネズミは、只今腹が減っているのだ。
そうだ、朝食を、食べていないな、と。
(ぼくの父親の髪の色は、うつくしいブロンドなんだって)
ほんとうに。
自分はどうして、あそこにいたのだろう。