寝る

□夏が通り過ぎる
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高校を卒業した承太郎は、駅へ向かう道中、信号が変わるのを待ちながら、ぼんやりとあの時の事を思い出していた。


外見よりその動作が、不思議と記憶に残る彼女とは、あれ以来顔を会わせる事もなかった。
すみません、大丈夫だから。
あの、彼女の動きをなぞるように、承太郎は唇だけを動かした。



夏の、蒸したような臭いが鼻をつつく。
そんな中で人や人に押し潰されながら、何故今になってこんな事を思い出すのだろう、と、承太郎は帽子の唾を下げた。もう学帽ではない。
そのうちに、信号は青に変わる。
人の洪水にうっかり流されそうになりつつ、さあ自分も渡ろうと足を進めようとしたその瞬間、だった。
声が聞こえたのだ。





「煙草、やめたんだねJOJO」







笑みを含んだ声。
髪が柔らかく風になびいて、承太郎の横を通りすぎて行った。
それはとても透明で、軽さがあって、すぐに空気に溶けて消えた。
後味のないそれを聞いた瞬時に、あ、と思った。


ああ、アイツだ。


そうして、無意識に彼女が誰であるかを悟った。
かつて、今よりも幼かった筈の彼女は、人混みにまぎれてもう見えない。
しかし確かに聞き覚えのある、透明ではっきりとした声。

どこか懐かしい気分になった承太郎は思考した。
彼女の名前は、なんだっただろうか。
どのクラスにいたのだろうか。







考えても思い出せず、遂には諦めた。

白昼夢でも見ていたような、昔のアルバムをうっかり見つけでもしたような、ただただそんな気分になった。
特別な気持ちもなく、アイスティーのシロップのようにすぐ溶けてしまう、そんな小さな、高校生活での些細な思い出。
変なヤツだったな。と、たったそれだけの感想を溢す。


後ろ姿を見る間もなかった。もう、思い出せないのだろう。
蝉がわんわんと鳴いているのが聞こえる。
あれは確か夏の夕暮れだった。
暑さに小さく眉を寄せれば、知らない女が「どうかされましたか」、と話しかけてくる。
すみません大丈夫と、呟いた。


そして承太郎は、煙草の臭いの消えた唇に小さく笑みを浮かべながら、今度こそ信号を渡る。









**2008/08/25/
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