私は、解離性同一性障害(以下DID)について、この記録を残す事。
この事に限らず、自分が診断された病気に対しては臆する事が多く、
この様な記録を残す行為自体、自分達の首を絞める様な行為と捉えていました。
というもの、神経症ではなく、所謂、精神病と初めて診断された当時から、
自分らしさがどんどん失われていく様な感覚に突如襲われ、
深い悲しみと絶望を噛み締めながら、病前の自分というPersonalityを覚えていられるようにと、日記(手記、HomePage)を付け始めたのです。
その日記は、自己採点なるものを付け、当時と今を照らし合わせるなど、
その時々の言葉を吐き出し、自分の感情の変化、その波を感じと取ろうとする形式でした。
しかし、自分の気持ちに正直になれず、自己嫌悪に陥ってしまうなど、
結果的には当時の目的の”自分らしさ“を忘れない為ではなく、逆に、
“かけ離れていく自分“の記録となってしまったのです。
この事をきっかけに“自分”が、病気に関する事柄を残すという行為を避けるようになっていったのです。
月日が流れ、時間というものが自分達に重く圧し掛かり、比例して病気も形を成していきました。
この時間という枷は、これからも重みを増して苦しみを与えてくると思います。
しかしながら、“今がある”と言えるなら、24時間ずっと苦しい訳じゃない。
今、少しでも自分達と向き合えているから、それ以前を過去といえる。
つまり…
過去だから忘れて良い事もある訳で、それを感じて言葉に出来る今だから。
この言葉をこれからの糧として、この記録を残していきます。

ツユリ

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ