日和

□なやみごと
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なやみごと
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かの有名な松尾芭蕉の弟子である曽良は、ある悩み事をその胸の内に抱えていま
した。
昼餉も済ませ、また歩き始めようと芭蕉が支度をする隣で大きな溜め息が聞えま
す。
 
『どしたの?曽良くん』
 
師匠が気遣い、訊いても、
 
『いえ、別に』
 
返事は非常に素っ気ないものでした。
 
『溜息は幸せが逃げてっちゃうんだよ!ほら、吐いた分、早く吸って!』
『嫌です。ていうか、芭蕉さんの所為なんですけど』
 
また曽良はまた大息します。
そして、理解できない、と書いてある顔で戸惑っている師匠をしげしげと見つめ
ました。
 
『あ…あの?何で?』
『……』
 
芭蕉の色素が薄い瞳が、弟子の不可解な言動に対する不安を映しているようです

曽良が無言の返答を続ければ続ける程、芭蕉は落ち着きを失っていきます。
 
『ね、ねぇ、曽良くん?私何かした?』
 
その動作が、上目遣いで媚びるように思えたのでしょう。
曽良は自分の中に生まれてしまった甘い感情に気付き、眉を顰めました。
 
『どうしてくれるんですか』
『な、なにが?』
『芭蕉さんを見ていると苛々します』
『え、嘘!?酷すぎじゃない!?もっとオブラートに包んだ表現ってもんは出来
ないの!?』
『苛々します。』
『二回言ったなチキショーっ…!うう…じゃあどうしろって言うんだよ……』
 
芭蕉さんは俯き、その目尻に涙を溜めていました。
師匠の威厳なんてものは微塵も感じさせないその姿。
  
『芭蕉さん』
『…何だよ、もうっ』
   
曽良はうっすらと髯の生えた顎を掬って、その切れ長の目を芭蕉の視界に入れさ
せました。
芭蕉は理解が追いつかないまま、ぽかんと事の成り行きを見ています。
  
『…どうしましょう』
『へ…?ていうか何、する気なの…?』
『何されると思いますか?』
『え、この格好からして、新技とか?いや、でも、そんな事わざわざ聞…』
 
芭蕉が目を閉じて思案を始めた時、何かに唇を塞がれ、言葉が発せられなくなり
ました。
それは、弟子の唇でした。 
当然、芭蕉はパニック状態に陥りましたが、ここで突き飛ばす等の反抗を示した
りなどすれば、後に弟子に何をされるか判った物じゃありません。
 
『予想が外れて、残念でしたね』
『―……』
  
思考を停止した芭蕉の頭がようやく再起動を始めた頃、弟子は芭蕉から身を離し
、意地悪く笑いました。
 
『な、なんで、き、キスしたの?』
『ムカついたからです』 
『い、意味わかんない…』
『芭蕉さん、何で顔赤いんですか?』
『そりゃ、誰でもなるわい…っていうか君の所為だろ!』
 
紅潮した顔を隠すように手を頬に当て、若い弟子を睨みました。
 
『だってそれは、芭蕉さんが僕を苛立たせるからいけないんですよ』
『……じゃあ、お互いの所為ってこと?』
『いえ、全て芭蕉さんの所為です』
『そ……そうなんだ』
 
結局、今回も弟子に上手く丸め込まれてしまった芭蕉さんは、弟子の真意を測り
取ることが出来ませんでした。
そして曽良もまた、自分の悩みを解決出来ずにいました。

鈍感過ぎる師を持った、弟子の悩みを。



了。


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