期間限定同人誌再録

□eternal
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eternal                             
瑶子

時の歩みの速度が変わった。
もどかしいほどに、時計の数字が変わらなかった。
時は、光より速く過ぎていくと感じることのほうが多いのだが、今のティエリアには、幼子の歩みより遅いように感じられる。それを意識した途端に、だった。

     ◇◇◇

 「三十分後、部屋に行ってもいいか」
刹那からの短い通信に、ティエリアは、構わないと一言、素っ気なく答えた。
だが、この違和感にはいまだ慣れずにいた。
今のティエリアは、クルーであれば誰であろうと、ましてや刹那であればなおのこと、断りなしに訪ねてきてもまったく問題ないと思っている。なにより、刹那の場合は、それが普通だったのだ。
特別な関係になる前の、ティエリアにとっての刹那は、ただ気に入らないだけの存在であった時でさえも。こちらの事情などお構いなしに、どれだけ罵倒しようが拒絶しようが、無言のまま部屋に入り込んで居座っていたものだった。
なのに、再会後しばらくは以前のように前触れなしに訪れていた刹那が、ある頃からそれなりの理由を携え(新しい任務の詳しい説明が欲しいだとか。ダブルオーに関する質問だとか)、その上で、部屋を訪れることの是非を問うようになった。

 互いの気持ちが変わっていないことを確かめ合い、かつてよりもずっと、わかりあう深さも交し合う言葉の数も増えたというのに。
フルネームで呼び合うことも、なくなったのに。
消えた名字の分だけ近づいたはずの距離を、刹那は妙に他人行儀なマナーを使って、狭まった分と同じだけ広げた。
 確かに、人間的な成長の結果の一つ、と思えば、悪いことではなかったし、今の彼の、リーダー的な立場に相応しい立ち居振る舞いとして、至極当然のことをしているに過ぎないと思う。

なのに。
そのことが、ティエリアを妙にいらだたせる。
三十分も前に、告げられて。
行く、のではなく、行っていいか、と尋ねられて。
刹那を受け入れる準備など、何ひとつ必要ないのに。
現実には無理だとしても、戦闘中であろうと、刹那の言葉になら耳を傾けてもいい程に、彼の心に寄り添いたいと思っているのに。


秒をカウントする光の点滅を何回見ただろう。
なかなか過ぎていかない時が恨めしかった。
一秒経つごとに、刹那との間に実は埋まっていない距離があるのだと認識させられるようで、ティエリアはそれを否定したくて、何度も頭を振った。


刹那には、許した。
時折壊れそうになる心が上げる悲鳴を、小さな溜息や時には涙で、曖昧にではあっても伝えることを。
同時に、刹那も許したはずだった。
彼の中には、大人になりきれない部分や迷いを抱えた場所があるのだと、他の誰にも見せない子供っぽい不機嫌顔やはにかむような苦笑で、彼もまた曖昧にではあっても、ティエリアには伝えてくれているのだから。

だからもう、互いの間に距離などないも同じだと思っていた。
体が交じり合う時、快楽という溶剤が、細胞を溶かして混ぜ合わせてしまうかのような、あの感覚と同じように、想いをわかりあう瞬間は心の一部が溶けて繋がり合っていると感じる。
そう思うのは、自分だけなのだろうかと、ティエリアは深い溜息をついた、
     
◇◇◇ 

刹那の到来を知らせる音が鳴ったのは、通信からほぼきっかり三十分後だった。
ティエリアは、ことさらゆっくりと、ドアに向かう。
まるで主人を待ちわびていた犬のように、足早になりかける自分をなだめながら。
「刹那―」
ドアを開け、ティエリアは柔らかな表情と声で彼を迎え、部屋に入るよう促した。

嬉しかった。
ただ、ただ、純粋に嬉しかった。
ついさっきまでしかめていたはずの顔が、自然と緩ぶ。
だが、刹那の表情は、いつものそれと変わらない。
誰にも等しく向ける、少し不機嫌気味な。
一呼吸置いて、すっとティエリアの側を抜けて室内に入ると、そそくさと携帯端末を開く。
「休憩中、すまない。説明の欲しい事項があった。手短に終わらせる」
刹那が説明を求めたのは、組織の管理に関することだった。ティエリアは理由を問わず、すぐに答えを与えた。仲間達と必死に作り上げてきた組織を、刹那が引っ張っていくことになんら異論はない。むしろ、そうなることを心のどこかで待ちながら、新たなCBを作り上げてきたようにさえ感じている。
だから、刹那が、この質問のために自分の部屋を訪ねてきたことは、確かに、喜ばしいことではあるのだ。

互いの暗黙の約束。
CBの一員であること、そして何よりもガンダムマイスターであることを最優先にすること。
けれど、二人とも、それができない弱さを互いにだけ見せる時もあって、その時は、二人だけの秘密にしたものだった。
でも、今の刹那は、どこか違っている。
余裕がないというわけではない。
もう、そんなふうに秘密を共有する相手ではなくなってしまったような。
二人きりで過ごす時間でさえ、刹那は、滅多に弱さを見せなくなった。
リーダー然としていく彼を誇らしげに見詰めると同時に、ティエリアの内に少しばかり寂しさが募った。


「わかった。ありがとう、ティエリア」
「僕で役に立つことなら、なんでも聞いてくれ」
ティエリアの明快な説明を聞き終えた刹那は小さく頷き、邪魔をした、ゆっくり休んでくれと言って小さく頭を下げ、ドアに向って踵を返す。
ティエリアは、微笑みを消して、唇を噛み締めた。
非の打ち所のない刹那の言動は、また一つ、彼との距離を広げていったようで。
ティエリアは、遠ざかっていく刹那の背を見つめた。

そう、なんでも。
君が進んでいくために必要なことなら、なんでもする。

でも、本当は。
僕の手を取って欲しい。
一人では行かせたくない。

君の背中ではなく、君の見ている未来を見たい。
君の隣で。
だから。

『行かないでくれ、刹那』
ティエリアは心の内で叫んだ、無意識のうちに手を伸ばしかけた。
刹那、と、声が象られるのを咄嗟に飲み込んだ瞬間。
「ティエリア」
ドアの方を向いたままの刹那が、名を呼ぶ。その声に、ティエリアは、ハっとして、差し出していた腕を引いた。

刹那は、ゆっくりと振り向いた。
最初は、いつもと変わらない表情で、しかし次第に瞳が見開かれていった。たぶん、驚いた、という表情なのだろう。
「…、声が、聞こえた、お前の」
「刹那…」
「行くな、と言ったか?」

ティエリアは答えなかった。
なぜ、刹那に伝わったのかはわからない。
思わず、口をついてしまったのかとも考えたが、そうではないだろう。
自分もまた、彼の気持ちが伝わることがある。
四年前も、そんなことがあった。
まだ幼かった彼の顔、それを見つめた瞬間、沸き起こったのだ、きっと彼もそう思っていると。
口にしなくても、刹那ならこう思っていると、顔を見ただけで、なんとなく。
だが今は、肯定してしまえばきっと刹那を困らせる。そんな気がして、肯けなかった。
だが、否定もできなかった。
だから、目を逸らした。
刹那を見ていると、行かないで欲しいと言ってしまいそうで、耐えられなかった。


「ティエリア、お前には…」
「…、なんだ?」
刹那は、ティエリアの隣へと戻り、さっき伸ばしかけて下ろした手を取った。
「聞こえるのか?」
ティエリアは、ゆっくりと刹那の顔に視線を戻した。
自分を見詰めるときは、ふっと柔らかくなる琥珀の瞳が、心なしか、輝いているように見えた。
それがまるで涙で濡れているように見えて、ティエリアの胸が詰まる。

明確な声は、聞こえない。
けれど、ティエリアの胸を詰まらせた塊が、次は瞳を熱くしていく。刹那に握られた腕から伝わる暖かさと一緒に、自分の中に流れ込んでくるものが、それをどんどん熱くする。
伝わってくると、感じられた。
言葉より雄弁に、刹那の感情が。


刹那は、決して泣かない。悲しげな顔すらしない。
きっと誰よりも心を許しているであろう今のティエリアの前でさえ。

それを不満に思って、問い詰めたこともあった。
自分は何度も、刹那の服や指や唇を濡らしたというのに。
自分ばかりが、と。
そしてその度、刹那は困った風な顔を見せて、泣くようなことがないからだ、と言った。
本当は、そんな困り顔だけでも、他の誰にも見せないのだから、ティエリアは少しだけ満足していたのだが、でもなお、頬を濡らしながら、睨みつけた。そんなわけがない、と言い張って。
刹那は、根負けしたようにポツリと言った。
「俺が泣かないから、代わりに泣いたと、言われたことがある」

誰に、とは問わなかった。
刹那にそんなことを言う人物は、一人しか浮かばない。

ティエリアは、羨ましいと思った。
少しだけ、妬んだ。

刹那と共に過ごした時間は、比べるべくもない。
あの人は、刹那と身体も重ねていないし、気持ちを交し合ったこともないだろう。
なのに。
いとも簡単に、刹那の、ティエリアには汲み取れないでいる、いや、存在はわかっていても踏み込めないでいる、彼の隠された部分を自分のものにしてしまえることに。

ティエリアは、その時は、それ以上何も言わなかった。
言うべき言葉も見当たらなかった。
ただ、そうか、とだけ。
刹那も、曖昧に頷いただけだった。

でも、今なら。

ティエリアは思った。
今、自分の瞳から溢れてくるものは、刹那の心の欠片だと。刹那の内では固まりのまま崩れることのできない感情が、彼の温かさと共にティエリアに流れ込む。
そして、ティエリアの心に沈むと、それらは刹那を想う切なさで溶けて、瞳から零れ出すのだと。確かにこれは、刹那が流すはずの涙なのだだと感じられた。

「聞こえるんだな」
ティエリアは頷いた。
「…悲しい、のか」
「ああ」
刹那は、無表情のまま、だが躊躇いなく頷いた。
なにが、とは問うつもりはなかった。
これだけ近しい場所で、激しい戦いを共にくぐり抜けてきたのだ。悲しいと感じる理由など、いくらだって思いつく。もちろん、思いつかないこともたくさんあるだろう。
けれどすべてを知る必要はないと思った。
自分が泣いてしまった時の理由と中身は違っても、同じ類いのものを刹那は抱えていて、“悲しい”ものだと、わかればいい。
刹那は、ティエリアの涙をぬぐいながら、小さく、そして苦く、笑った。
「ティエリアには、隠せない」

繋がっているのだと感じた。
刹那の隣に立てると思えた。いつだって彼の魂に寄り添って、彼と同じものを見続けることができるかもしれない、と。
それは何よりも嬉しいことだったけれど、欲を言えば、刹那をこんなにも悲しませているものは根本から消してやりたいとティエリアは願った。けれど、そんなことは不可能だと知っている。だから、せめて、と、ティエリアは刹那に告げた。
「もっと、君の痛みが欲しい」
刹那は、一瞬の間を置いて、微苦笑のまま頷き、ティエリアの肩に両手を載せた。
「お前になら」
ティエリアは、溢れる涙はそのままに、まるで花束でも受け取ったかのような、輝くような笑顔で頷いた。

それからゆっくりと、互いの唇がそっと触れ合う。
永劫の契りともいうべき婚姻の誓いのキスのように、静かで厳かなものだった、決して激しくはないが、長く。互いの背に回した腕にも強い力はこめられなかったが、決して離れない。
唇が自然に離れてから、刹那が問いかけるような瞳を向けて、名を呼んだ。
「ティエリア」
少し掠れた声にこめられた願いをティエリアは悟った。同意の証に、自分から唇を寄せ、触れた瞬間に開いて、刹那の舌を誘うように絡め取る。柔らかく絡まっていた互いの腕に、確かな力がこめられていく。静寂が支配していた空間に、荒い息遣いと微かな水音が響き始めた。
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