期間限定同人誌再録

□刻の狭間 
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刻の狭間                             
瑶子

 照明がほぼ落とされた刹那の部屋は、空調コントロールの音が小さく響き続けていた。平素は乾燥状態が保たれていたが、今は、ほんの少しだけ湿り気が漂っているようだった。

「…なにが、…」
ティエリアは、ベッドにうつ伏せたまま気だるげに髪をかきあげ、「あったんだ?」という問いの続きは、言葉になることもなく喉の奥で消えていった。

ティエリアが独白に近い疑問の言葉を向けた相手、刹那は、聞こえないふりを決め込んでか、もしくは本当に聞こえないのか、ベッドに腰掛けてゆっくりと水を飲んでいた。行為を終えてから彼の口からは、言葉と認識できるものが発せられることはなかった。

          ◇

貪りあうように交わった二つの若い肢体が、今のような静けさを取り戻すまで、大した時間はかからなかった。つまり、情交は、至極短時間で終えたということ。

確か、夕立だとかスコールだとか言う名称だったと、ティエリアは思った。もちろん、ほとんどが映像や文献でしか知らない地上の気象現象ではあったが、それらに関する多くのデータは彼の脳内にインプットされていた。むろん、地上戦の際に考慮すべき事項として必要だから知っていただけだが。
数粒の水滴が落ちたと感じた瞬間、一寸先をも見えない豪雨となるが、その終わりも呆気なく、ほんの参考にと閲覧したフィクションの書物には、“まるで「雨など降らせた覚えはない」と、空が言っているかのような”と書き連ねてあったなと、ティエリアはため息をつきながら、そんなことを思い出していた。


 ティエリアが疑問を口にしたのは、客観的には、至極もっともであった。
温情からではなく(少しはあったかもしれないが)、戦闘の続いたパイロットには絶対必要であり、これも長期的なプランの一環だと言うスメラギから四人のマイスターに通達された事項は、休息。緊急事態が発生しない限り、約二十時間休むこと。
 充分に満足のいく睡眠時間を約十時間――ティエリアには多すぎる時間だが――を取ったとしても、まだ十時間もあるというのに、なぜ、一分一秒を惜しむかのようなSEXをしなければいけないのか。それに応じたことは、さておくとして。

 低重力空間では、刹那が揃えたティーセットを使うことは出来ず、無粋な密閉式ボトルを使うしかないのだが、味そのものはそう悪くはない紅茶やミルクを飲むくらいのことは出来る。
主に女性クルーの意向で、保存が効くだけではなくできる限り味の良いものを、が食料物資の暗黙の基準になっていた。食に関しては、栄養が補充できればそれで充分というのがティエリアの基準だったが、組織の建て直しが進んできてからは、「美味しいものは心の栄養になるから」と言い張る女性陣の強い意向に押し切られ、資金に余裕がある限りはその希望は通るようになっていった。

今のティエリアには、心の栄養という抽象的なものが、わかりかけていた。
以前はよくフェルトが、再会してからは刹那が、丁寧に淹れる飲み物は、喉の渇きを癒す以外の効果を感じるからだ。
だから、今度いつあるかわからない穏やかな時間を、温かな飲み物をとりながら、二人でゆっくり過ごすのもきっと、心に栄養を与えるのだろうと、ティエリアは思っていた。

だからといって、体を求め合うことに抵抗はなかった。

わかりあっていることだった。
二人だけの休息の時間と場所では、互いに課せられたものから少しだけ目を背けて、快楽に溺れることも許しあうのだと。

快楽は、二人に優しかった。

決して癒えない心の裂傷をどろりと包む液体のように、しばしの間だけ痛みを和らげた。だから、いつ行為に及ぼうともティエリアは応じるつもりでいたし、自身が、求めていることも事実だった。


少なくとも、部屋にたどり着くまでは、いつもと変わらぬ彼だった。休息を前に、そして、共にいたのがティエリアだけだったから、いつもの少しイラついた雰囲気を緩ませているようには感じていたが。
ティエリアには、他の者にはただの無表情にしか見えないであろう刹那の貌からも、僅かな感情の動きを見てとることができた。かつては監視者として、いつしか、情を交す者として、気持ちの質は変わっても、明らかに他者に向けるものとは別の意を持って、ずっと見詰めてきた。
その存在が傍らになかった年月すらも、ティエリアの中では刹那は存在し、ティエリアにだけわかる、感情の動きを見せていたのだから。
 だが、ドアが閉じた瞬間、断りを入れるどころか名前を呼ぶことすらせずに制服を脱がされかけ、さすがに瞬時にそこまでは察することができなかったティエリアは、呆然とされるがままでいた。しかし、明らかに行為を始めようとしていることに気づき、刹那の腕を強く掴んだ。
「…せつ、…」
思わず口をついた、制止の言葉。
だが、続きはティエリアの内に飲み込まれた。

わかってしまうから。
顔を、瞳を、姿を、少し見詰めただけで。

明らかに違うのだ、ドアの外にいた時と、この部屋に入った時と。たった一枚の金属板を越えた瞬間に、刹那は変わった。

いつもと同じような、少しばかり不機嫌な顔。
けれど、変わった。
言葉にはできなくても、ティエリアには、変わった、と言い切れた。
刹那の変化を誰よりも敏感に読みとることができるというだけではなく、ティエリア自身も、そうだからかもしれない。
互いが互いを欲して、体も使って、背負ったものの重さを誤魔化すことが許される空間に踏み入った瞬間、互いのスイッチが切り替わったのだ。
無言の請いが行き交い、澱むことなく、了承へと変わる。
この時、その誤魔化す手段の中に、ティエリアには安らかなティータイムを過ごすというものを含んでいて、刹那にはなかった。ただ、それだけだった。
「好きに、しろ」
軽く投げ捨てるかのように、ティエリアは、掴んでいた刹那の腕を放す。

「だが」
刹那が再びティエリアの服に手をかけるより早く、ティエリアは刹那の腕を掴み直し、数歩しかないベッドまでの距離を詰めた。
「場所は選ばせて貰う」
「わかった」
「灯りは、落とせ」
「ああ」
刹那は、ティエリアの要求をすんなりと受け入れ、ベッドに倒れこむ寸前に室内灯を落としたが、そこから先のティエリアの要求は、一つとして耳を貸すことはなかった。

キスをしながらティエリアの艶やかな髪を梳いたのも束の間、梳いたというよりは、通り過ぎた、程度だった。人間の力でそうそう破けるわけもない生地で仕立てられた制服だが、刹那は、ティエリアの身を包むそれを裂こうとするかのように荒々しく剥ぎ取っていった。
ティエリアが激しく感じるから、時には焦らすようにそこばかりを攻め立てる首筋や胸すらも挨拶程度の愛撫で過ぎていった。

性急な行為は、初めてというわけではなかった。
今日のような長時間の休息が取れない時、それでも、どうしようもなく欲しているとわかりあってしまった時。

 けれど、何度かあったそれらとの違いが、ティエリアに、何度も疑問を浮かびあがらせた。今日の刹那のそれは、時間に余裕のない時の情交に似ていたが、その時はベッドに行くことも、灯りを消すことも許されなかったのに、ティエリアの要求を飲むだけの余裕がありながら、なぜ、行為そのものは急ぐのか。なにか理由があることは明白で、最中にも関わらず、つい問いかけようとしたティエリアだが、その疑問は、途中で口にすることを止めたのだった。
             
理由を聞く必要などない。

行為そのものが、語っていた。
辛いのだと、苦しいのだと。

そんなにも早く、快楽に浸たって紛らわせたいほどの痛みを抱えているのかと、ティエイアは快楽以外のもので、顔を歪ませた。
ならば与えたかった、少しでも早く。

「ティエ…リア…っ…」
それでも時折、刹那は、行為を緩めかける。無理をさせている自覚が消えているわけでもなく、ティエリアを気遣いたい気持ちは多分にあるのだ。ただ、止められない、それだけで。
「……から…っ…、悦いか…ら…っ、もっと…」
ティエリアは、刹那を止めさせないために、必死に言葉を探した。同時に記憶を浚った。痺れるほどに心地よかった快感に震えた時、きっとしていたのであろう表情を想像してそれを作ろうとし、矯声と思われるように声を甘くかすれさせる。艶態を作る羞恥心より、刹那を思う気持ちがティエリアの中で勝っていた。
そして、ティエリアは半ば作為的に乱れながら、自然な流れのように、次の作業へと移っていった。インプットされている快楽の感覚を呼び起こし、痛みをそれらに変換していった。ゆっくりと触れられた時に沸き起こった心地良さを何度も反芻し、今、与えられている痛みを、それに置き換える。感覚を変えるなどという作業をいつのまに出来るようになったのかと、少し驚きもしたが、たぶんそれは、与えている相手が同じだから出来るのだろうと思った。

その相手は、どちらも、刹那だから。
例え痛みであっても、むしろ快楽に包まない、彼の感情そのものであるのだと思うと、嬉しい、とすらティエリアは思った。

だから、応えたかった。
自分を甘やかすことができるのが刹那だけであるように、彼をそうさせることができるのも自分だけだと思わされたから、受け入れている刹那を強く締め付ける行為に没頭した。
          ◇
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