novel

□明日
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人の命はこんなにも儚いものなのか。昨日まで笑っていたあの子が、今日はもういなくなっている。ただ眠っているだけなんだ。そう思っていたい。
しかし、目の前の人は冷たくてもう帰ってこないことを知らせている。

今日の研修を終え、野分は帰ろうと白衣を畳み鞄に入れる。そして廊下に出ると子どもが寄ってくる。

「先生ー!今日はもう帰るのぉ?」
野分のズボンを掴みながら上目遣いで尋ねてくる。
「そうだよ」
少しだけ腰を屈めて頭を撫でてやる。するとくすぐったそうに笑う。
「じゃあ、明日一緒に遊んでね!」

明日。
この子に明日はあるのか?
自分に明日はあるのか?
自分の愛するあの人は、明日も俺と一緒にいてくれるのだろうか?

「…先生?どうしたの?」
子どもの声で現実に戻る。心配そうな顔をする子どもの頭を少し乱暴に撫でる。
「うん、また一緒に遊ぼうね」
「うん!」

今の野分には明日という言葉が使えなかった。明日が来ない不安をここまで感じたことがなかった。

* * *

思っていたより少し遅くなっつしまった。帰宅すると弘樹はリビングのソファで仰向けに寝転び本を読んでいた。

「ただいまです」

野分がそう告げると弘樹は短く返事をして本を閉じる。小さく伸びをし、野分の顔を見て弘樹は眉間の皺を更に深める。

「…お前、どうしたんだ?」
「え?」
「ひっでぇ顔だな」

相変わらず不規則で忙しない日々。寝不足気味だ。それが原因で多少顔色が悪いのかもしれない。

でも、ヒロさんにだけは心配をさせたくない。

こう思い、野分は少し口角を上げる。
その笑顔を見て弘樹は溜息をついた。

「野分。お前、ちょっとここに来い」
「あ…はい」

呼ばれた通りに弘樹の隣に座る。野分が座ったのを確認すると弘樹は体ごと向きを変え、野分に背を向ける。

「お前さ、何かあったんなら俺に一番に言えよ。俺達は…その…なんつーか…えっと…こ、恋人なんだからな。
俺とお前では違うところもあるから全てを支えることはできない。でも精神的な面は支えてやれる。
つーか年上を頼れ、ばかもん」

後半はかなりの早口だったが、野分はその理由をわかっている。
あぁ、さっきまで自分は何を心配していたのか。

目の前の恋人は自分の支えになりたいと言ってくれている。
自分も勿論この人の支えになりたい。

お互いが求め合っている存在。

野分はそっと後ろから弘樹を抱き締め、首に顔を埋めた。

「俺の話、聞いてくれますか?」
「あぁ」
「実は…今朝入院してた子が亡くなったんです。とても明るい子で、俺が病室を覗くといつも笑ってくれて…たまに一緒に行く散歩を一番の楽しみにしてくれていて。
昨日久しぶりに会いに行ったらいつもみたいにニコニコしていて、明日散歩に行こうって約束をしたんです。でも俺が帰ってから容態が急変したみたいで…
冷たくなったその子を見て、明日はちゃんと来るのか…ヒロさんは明日もいるのかとか…色々考えてしまって…」

抱き締める力が強くなる。

「ばーか。勝手に人を殺すなよ」

弘樹の口調は冷たいが、けして腕を振りほどこうとはしない。

「お前、何の為に今研修行ってるんだよ。子どもの命を救いたいんだろ?救急にいくなら人の死なんて隣り合わせだ。
お前がもう人の死を見たくないならお前が救ってやれ。お前は子どものお世話しに病院に行ってるわけじゃねぇんだぞ。子どもと一緒に遊んで笑ってたいなら草間園を継げ。
どうなんだ、お前はどうしたいんだよ」
「俺は…子どもを救いたいです…」
「じゃあ頑張るしかねぇだろ」

弘樹は野分の頭をぽんぽんと叩いてやる。

「それにな…お前には俺がいる。嫌でも一緒にいるんだ。お前には色々と責任をとってもらわないといけないからな。別れるなんて言い出したらキレるからな」

弘樹はまた早口で言い切るとさっき読んでいた本を手に取り読み始める。
野分はずっと首に顔を埋めたまま。
弘樹は自分の首元が濡れているような気がしたが、読み続けた。
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