novel

□カタチ、ココロ
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最近、野分に会っていない。
元々立場が違う。助教授である自分と研修医の野分では生活リズムが違う。今までも時間が合うことは少なかった。

だが、一ヶ月も会えないのはおかしい。

帰宅すると俺は家の中を忙しなく動く。
また葉書が届いているんじゃないだろうか…
どこかにメモが置いてあるんじゃないだろうか…
あいつはまた俺の知らない場所に行ってしまったのではないだろうか…

最初こそ強がっていたが、こんなにも会えないと不安になる。
同居してるはずなのに、いない。
野分の携帯に連絡することは可能だ。だが、野分の職場は命に関わる場所だ。俺の電話なんて優先されるわけがない。

待ち続けることに少し疲れてしまった。

「…早く帰ってこい…野分…」

俺は夜の静寂にのまれない為に早々に寝た。
これが、最近の生活スタイルになっている。

* * *

「上條〜!お前、最近ヒドいよなぁ〜」

研究室で論文を書いていると、教授が椅子に乗ってこちらに近付いてくる。
キャスターの音が俺を苛つかせる。

「…教授、俺論文の締め切りが近いんです…自分のことは自分でして下さいよ」
ディスプレイを見たまま言う。

「俺のお世話してくれないことに対してじゃないよ。こ・こ」
そう言って教授は俺の眉間を指で押さえる。
こうなっては作業ができない。

「…教授、論文が書けません。やめていただけませんか?」
「いやだ」

全くこの人は…
上司といえど怒りが込み上げてくる。

「上條、最近あの子とはどうなの?」
「…は?」

俺の眉間から指を離し、顔を覗き込まれる。
あの子とは野分のことだろう。

「…どうもないですよ、いつもどおりです」

嘘。
あいつに会えない一ヶ月がいつもどおりなんて、俺には耐えられない。

「そう」

教授はまた椅子に乗って自分の机に戻る。キャスターの音だけが研究室に響く。
俺は軽い溜息をつき、時計を見る。そろそろ講義の時間だ。
そうだ、俺には今やらないといけないことがある。
野分のことはそれからだ…そう、それから…

「上條、思ってるだけじゃいかんぞ〜」

教授が煙草を咥えながら離しかけてくる。
俺が何を思っているというのか…
俺は…

俺は…

俺は…

「だから何でもありませんって。じゃ、講義あるんで失礼します」

パソコンを閉じ、講義に使う名簿や文献を持って研究室を出る。


俺は…今…寂しい



* * *

今日もあいつは帰ってこないのか。
いっそのこと出て行ってやろうか…そうしたら野分は帰ってこなかったことを後悔し、俺を探すだろう。

お前は俺を、探せばいい。

…ガチャ…

電気も点けずリビングに座り込んでいた俺の耳に、ドアが開く音が入ってくる。
帰って…きた…?

「ヒロさん?まだ帰ってきてないんですか?」

玄関から野分の声が聞こえてくる。
ばーか、誰が返事をしてやるものか。

野分の足音が聞こえる。廊下…そしてリビングに入ってきた。
カーテンの隙間から忍び込んでくる僅かな街の光によって、俺のかくれんぼはあっさりと終わってしまう。

「あ、ヒロさん!帰ってたんですね。電気も点けないでどうしたんですか?」
「電気を点けるな!」

電気を点けようとした野分を止める。
俺は膝に顔を埋めて叫ぶ。

「ヒロさん?どうしたんですか?」

電気のパネルから離れ、俺の側に座る。
隣に野分がいるだけで満たされてしまう。だが、ここで顔を上げたら俺の負けだ。
俺がこの一ヶ月間どんな気持ちで過ごしてきたのか…思い知らせてやる…

「…なかなか帰ってこれなくて、すみませんでした」

少しの沈黙の後、野分が遠慮がちに声をかけてくる。

「病院が忙しくて帰れなかったのもありますが…本当は…その…今日が何の日か、わかりますか?」

今日はただの平日だ。明日も仕事、何の日でもない。

「わかりませんか?…そんな気はしていたんですが…」

そう言うと、野分は俺の足元に紙袋を置く。

「中、見て下さい」
「…お前…これ…」

中に入っていたのはずっと探していた絶版となっている本。そろそろ諦め時かと思っていた。

「今日、ヒロさんの誕生日ですよね。俺、何かしたくて…でも時間がうまくとれないからヒロさんよりも先に帰ってサプライズパーティなんてできない。今の俺じゃリングも買えない。
でもヒロさんの笑顔が見たくて…思い付いたのがその本で…最近は研修が終わってから古本屋をあちこち行ってました。そしたらすぐ研修の時間になって…連絡ができなくてすみませんでした」

野分の言葉を聞いて嬉しかった。
こいつは俺の為に自分の時間を割いてくれていたのだ。けど…けど…!

俺は本が入っていた紙袋を野分に投げ付ける。

「ふざけるなよ!俺がこの一ヶ月どう過ごしてたと思ってんだ!?教授には色々言われるし、俺も自分のことよくわかんなくなって…!
俺はお前から物を貰いたくて一緒にいるんじゃない!本探してる時間があるなら帰ってこい!電話してこい!」

言わないと落ち着かない。こいつにわからせてやらないといけない。

俺は…
俺は…

「またお前がどっか遠くな行ったのかとかっ…くそっ…!
俺はお前がいなくて寂しかったんだよ!それぐらいわかれよ!」

吐き出す言葉が無くなった俺は嗚咽を漏らしながら泣く。野分の大きな手が優しく背中を擦る。

「また…ヒロさんを不安にさせてしまいましたね…すみません。
明日からは研修が少し楽なんです。だから、研修終わったらすぐ帰ってきます。ヒロさんの隣にずっといますから…」

こいつといると俺が俺じゃなくなる。
俺はぎゅっと野分に抱き付く。野分は泣きやむまでずっと抱き締めてくれていた。

「ヒロさん、お誕生日おめでとうございます」

* * *
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