その他

□もしもし
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腕を大きく開いて息を吸って、大きく吐く。
それを何回か繰り返して、ようやくエステルは図書室の扉に手をかけた。
扉を開けた先、紙の独特な匂いが、エステルの鼻を掠めた。

この学園に入学して二年目。
エステルは、毎日のように図書室を利用している。
なぜなら、エステルは本が大好きだから、である。
友達のユーリにも
「お前の前世って本だったんじゃね?」
と言われるほど、エステルは図書室に入り浸っていた。
しかし、四月を過ぎて新入生が入って来てから、図書室にエステルはちがう理由でくるようになっていた。


放課後の図書室には人はあまり見受けられなかった。
これはいつもの事なので、エステルはさほど気にはしない。
そんな事より、エステルが気になるのは…。

1番後ろの窓際。
小さな体をさらに縮こまらせ、分厚く難しそうな本を読んでいる少女。
その少女こそが、エステルが最近図書室にくる理由だった。
夕焼けが差し込んで、オレンジ色に少女を染め上げていた。

図書室で一度みかけて、年に似合わないその憂いを帯びた表情と瞳に、エステルは心を奪われた。
触れてみたいと思った。
触れられたいとも思った。
本を淡々とめくるあの綺麗な指先に。
初めての感情に、エステルは戸惑いを隠し切れなかった。
大好きな本を読んでいた筈なのに、内容なんて頭に入ってこない。
それほどまでに、少女は魅力的だった。





「――…名前だって、知らないのに。」

少女とエステルしかいない空間に、その言葉がやけにはっきりと響いて、はっ、とする。
声に出してしまった。しかも、少し大きな声。
窺い見れば、少女はこちらを怪訝そうな瞳で見つめていた。
初めて目があった。初めて。そう、それすらも初めてなのだ。
少女は本を傍らにおいて、睨むようにエステルを見遣る。

「………………だれ。」

初めて聞く声だった。
当たり前だ。初めて話し掛けられたのだから。

「ぁ…う、えと…。」
「新入生の中にはいなかったし、上級生でしょ?」
「は、い。」
「?なに緊張してんの?とりあえず、あたしは本読んでるから、でっかい独り言するひまがあれば帰れば。」

それだけ一息で言い切って、また少女は本を読み始めた。
緊張。図星だった。
一目惚れをしたと言ってもいい相手を前に、緊張しない方がおかしい。

でも、がんばらないと。
今日こそはって、決心したから。
だから何回も何回も、図書室の前で練習したんだから。
緊張に慄く足を無理矢理引っ張って、エステルは少女の前に歩み出る。

「…あの!」

自分の中にある勇気を全てかき集めて、エステルは大きく声をあげた。
少しだけ驚いて顔をあげた少女に、エステルは息を飲む。

「…なに?」
「……その、」
「用があるんなら早く言って。」

刺々しい言葉。
まるで他人を自ら寄せ着けまいとするように。
凜とした瞳を向けられて、エステルは口ごもる。
どうすればいい?どうすれば仲良くなれる?
…ううん。考えるより、行動に移さなきゃ!

「…わ、」
「わ?」
「私の名前はエステリーゼ・シデス・ヒュラッセインといいます!」
「は、」
「あ、あなたのお名前聞いてもいいですか!」

エステルは思わず目をつぶる。
ついに聞いてしまった、とさえ思う。
名前を聞いただけなのに。
そして、

少女が吹き出す声がエステルの耳に届いた。
え、と思って双眸を開けば、少女がケラケラと笑っていた。
そしてそれも、初めてだった。

「…あ、あんた、それだけ?」
「え?」
「それだけ聞くために、ずっとあたしを見てたの?」

ドキリと心臓が跳ねる。
気付かれていた?いつから?最近?それとも最初から?
少女の瞳は全てわかっているとでもいいたげに、エステルを見つめている。
気恥ずかしさに、エステルはその瞳から顔を背けた。
また少女が吹き出す。

「…あんた、エステリーゼ、だっけ。」
「っ、ぅあ…、はい…。」
「うん、覚えた。」

少女はエステルの返答も待たず立ち上がる。
読んでいた本を元に戻して。
そしてそのまま立ち去ろうとして

「リタよ。」
「え、」
「リタ・モルディオ。」

ふ、と微笑んで、少女は図書室を出て行った。
残されたエステルも、思わず吹き出す。






(リタ・モルディオ)
(それが私の好きな人の名前)







 

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