ワートリ夢

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あの広い背中を、いつも追いかけていた。
弟子にしてくれと頼んだ時、驚いて目を丸くした後に笑って頭を撫でてくれた事を、今でもはっきり覚えている。


──しっかりついて来いよ?


太陽のように眩しく輝く笑顔で見下ろしてくる彼に頷き返し、あやめは笑った。

それが、師匠である空閑有吾との一番色鮮やかな思い出だった。










目を開けると、見慣れた壁と窓が視界に飛び込んできた。
窓から差し込む穏やかな光は朝である事を示している。あやめは体を起こしてゆっくりと伸びをした。
関節がキシキシと音を立てる。もう若くないなぁと自嘲しつつ、ベッドから降りた。
昨日、玉狛支部に戻ってきて愛娘を抱き締めたところで疲労と眠気がピークに達し、玄関に倒れ込んだ事は覚えている。意識を失う直前に木崎が抱き上げてくれた事も、朧気ではあるが記憶していた。
鍛えているとはいえ、脱力したあやめを部屋に運ぶのはさぞかし苦労した事だろう。いつも世話をかけてしまう事を申し訳なく思いつつ、クローゼットを開いた。

「とりあえず、お風呂ね」

玉狛の広い浴場は楽しみのひとつだ。
あやめは着替えを持っていそいそと風呂へと向かった。




旅の汗と埃と疲労を洗い流し、濡れ髪のままリビング兼キッチンスペースに顔を出すと、林藤と陽太郎がダイニングテーブルに座って朝食の真っ最中だった。
カップを傾けていた林藤があやめに気付いて軽く手を振る。

「よぉ、起きたか。おはよう」
「おはよう、兄さん。陽太郎、ただいま&おはよ〜」
「おう、おかえり&おはよ〜、あやめちゃん」

ベーコンをフォークで刺した格好のまま、陽太郎が手を上げて挨拶を返してくれる。
あやめは二人の前に座り、テーブルに置いてあるポットの中身をマグカップに注いだ。林藤に確認しなくても、それが何なのか、誰が用意したのか分かっている。
案の定、ポットの中身はあやめが好きな甘めのカフェオレだった。これも木崎の気遣いだ。
一口啜ると、程よい熱さのカフェオレがじんわりと体を温めてくれる。ほっと息を吐いてから林藤に尋ねた。

「みんなは?」
「とっくに学校行ったよ」
「あー、そっか。ただいまの挨拶できなかったなぁ。まぁ寝ちゃったからなんだけど」
「全員、お前が帰ったって聞いてそわそわしてたぞ。さくらが「今日は寝かせてあげて」って言った後は落ち着いたけどな。全く、良くできた娘だよ」
「あうう……返す言葉もない…」

ずず、と音を立ててもう一口カフェオレを啜った。

「……悠一は?」
「部屋にいる」
「そう」

短く答え、カフェオレをじっくり味わいつつ飲み干したあやめは、マグカップをシンクに置いてキッチンを出る。行き先は迅の部屋だ。
ドアをノックするが返事はない。あやめは構わずドアを開いて部屋の中に入った。
迅はベッドに仰向けで寝転がっているが、目は開いている。すたすたと歩み寄ったあやめは、迅のベッドに腰を下ろした。

「ただいま、悠一」
「……おかえり」

いつもの飄々とした雰囲気は鳴りを潜め、迅は虚ろな目をあやめに向けてきた。
付き合いの長いあやめは、迅のこういう表情を何度か見た事がある。あの日もそうだった。
迅の師匠であり、あやめの夫である最上宗一が死んだ日。

「どうしたの。情けない顔しちゃって」
「………」
「被害は最小限に食い止めたんでしょ?……修くんだって、生きてる」

三雲修との面識はまだないが、林藤や忍田から何かと聞き及んでいる。空閑遊真や雨取千佳に関しても同様だ。
そして、彼等の事を迅が大切にしている事も伝え聞いていた。
迅は、虚ろな目のまま口を開いた。

「最小限って言っても、死人が出た。C級隊員も32人連れ去られてる。メガネくんだって……無事って訳じゃない」
「………」

迅は、常に移り変わる未来の中で最善の結果が出るように尽力している。しかし未来予知のサイドエフェクトがあるからと言って、全てを自分達の良い方に導ける訳ではない。
なまじ未来が見えるからこそ、迅は人知れず苦しんでいる。あやめはそれを、昔から間近で見て知っていた。
手を伸ばし、迅の髪をくしゃくしゃと撫でる。迅は僅かに目を細めた。

「人ひとりが背負える重さなんて限られてる。それを超えると潰れちゃうわよ?」
「……」
「少しはこっちにも寄越しなさい。アンタ、まだ子供なんだから」
「……おれ、もう19なんだけど」
「組織の戦いの責任を一人で背負い込もうとするとこが子供だって言ってんの。このおバカちゃん」
「あいてっ」

額を指で弾いてやると、ようやく迅の目に光が戻ってきた。
上半身を起こした迅は額を手で押さえ、苦笑を浮かべる。

「……あやめさんには敵わないや」
「そりゃそうでしょ。何たってコッチはもう大人ですから」
「玄関で大の字になって寝転ぶ大人……」
「あーあー聞こえない聞こえないー」

両手で両耳を押さえる仕草をしながら、あやめは立ち上がって部屋を後にしようとする。
その背中を、迅の声が呼び止めた。

「あやめさん」
「ん?」
「しばらくジメジメするかもしれないから……また発破かけてくれる?」
「お安い御用よ」

あやめはひらひらと手を振り、迅の部屋から立ち去った。









その日の午後、あやめは見舞いの品を手に三門市立総合病院に向かった。
修はまだ目を覚ましていないらしいが、玉狛支部に戻って来たからには彼は自分にとって身内に等しい。担当医から容態に関する話も聞きたいので、とりあえず顔を出しておきたかった。
車を駐車場に停めて病院の入り口に行こうとすると、病院前の植え込みの傍らで白い髪の少年がぽつりと立ち尽くしていた。その特徴的な容姿から、彼が空閑遊真だと一目で分かった。
中に入るか入らないか迷っている様子はない。遊真はただ、じっと病院の側面を見つめていた。恐らく修の病室を見上げているのだろう。

「お見舞いに行かないの?」

意識せず、自然にそんな言葉が出た。
遊真はこちらへと視線を向けてきょとんとしている。幼い仕草に思わず笑みが漏れた。

「……誰?」
「ああ、ごめんなさい。私は色々聞いてたから知ってるけど、キミは知らないのよね。林藤匠の妹で、最上さくらの母親、最上あやめです」
「あんたが……あやめさんか」
「キミは空閑遊真くんよね?」
「おう」

横柄な物言いだが、不思議と不快感はない。むしろ好ましくすら感じる。
あやめは遊真に近付き、隣に並んだ。そして改めて問いかける。

「修くんのお見舞い、行かないの?」
「行っても、オサムが目覚めるわけじゃないから。だったらその分の時間を他の事に使う」

大規模侵攻の概要、特に遊真や修に関する事は耳に入っている。
遊真が連れていた自律トリオン兵、レプリカの件は恐らく遊真と修にとって侵攻の中で最大の損失だったのだろう。だからこそ遊真は、修が気に病まないように、彼が眠っているうちに自分ができる事をやろうとしている。
心に芯の通った強い子だ。有吾がそう育てたのだと思うと、胸が熱くなった。

「でも病院来ちゃってるね」
「……それは、その、ううう」
「あははは。分かってる分かってる、心配でつい体が動いたんだよね。友情って素晴らしいなぁ」
「………あやめさんはちょっとイジワルなんだな」
「ふふふ」

唇を尖らせた遊真の背中を軽く叩いてやる。

「遊真くんの分までお見舞いしとくから、キミはキミが今やるべき事をがんばって」
「……アリガト、です」
「どういたしまして」

ぺこりと頭を下げた遊真は、あやめに背を向けて去ってゆく。
記憶の中にある有吾の背中よりはずっと小さいが、何故か懐かしく感じたあやめは遊真の姿が見えなくなるまでその背中を見つめ続けた。

かつて追いかけた背中も、たくさんのものを背負っていた。きっと遊真も、守るべきもの、守りたいものを背負うのだろう。
遠くなった記憶の中にある彼はもういないが、彼の想いを継いだ遊真はあやめの目の前にいる。
せめて近くにいる間は、迅のように助けになってあげたいと、あやめは母親のような心持ちで微笑んだ。







2015.9.30.

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