紀章

□迷宮の入り口
1ページ/2ページ


「・・・ん。」

「雛姫?起きた?」

雛姫が微かな吐息交じりの色っぽい声を小さく吐き出した。

読んでいた本から視線を動かすと雛姫が身じろいでやがて重そうに瞼を持ち上げた。

「ん。私、また寝ちゃってたね…」

雛姫は言いながら少し肌寒いのか素肌の体を両手で抱きしめた。

それからシーツを引き寄せようと手を伸ばした。

俺はそのシーツを代わりにぐいっと引っ張って雛姫の口元までかけてやる。

いつも終わった後すぐ寝ちゃうの可愛い。

「そんなに激しかった?」

「もう・・・」

頬を染めて上目で睨んでも可愛いだけだっつの。

「どれくらい寝てたかな。」

「いや、今日はすぐよ。30分くらいじゃね?」

雛姫がヘッドボードの上に置いてある携帯に手を伸ばす。

「そういやさっき鳴ってたよ。」

「あー本当。胡桃ちゃんだ。どうしたんだろう?」

「会社の後輩だっけ?俺、1回会ってるんだよな?あんま覚えてないけど。」

雛姫と初めて会った時に一緒にいた子のはずだ。

あの日、俺は雛姫と以外はろくに会話なんかしちゃいなかったから覚えちゃいない。

遅れて行ったのも理由の一つだがそうじゃなくてもきっと同じ結果になっていたはずだ。

「そう。電話かけ直してみる。」

雛姫は気怠そうに寝ころんだまま電話をかけた。

仰向けに寝転んでいたのを俺に背を向け横を向いたときに素肌の背中が露わになる。

白くて細い。

さっきまでの行為を思い出してドキリとした。

散々にやったくせに。

俺は頗る彼女に夢中なのだ。

「あ、胡桃ちゃん。何かあった?」

後ろでそんな邪な目で見られてるともしらないで雛姫が通話を始めた。

「どんだけ飲んだのよ。まだ昼過ぎだよ?」

なんだか雲行きが怪しい。

雛姫の声が焦っている。

「え?今から?え?あ、待って。」

雛姫は携帯を耳から話して項垂れた。

「紀章さん、ごめん。後輩が昼間っから飲んで酔っ払ってるみたいで。」

「まぁ俺たちも昼間っから裸でベッドの上だからそこは一緒じゃね?」

「・・・・そ、だね…」

俺が淡々と言ってのけると雛姫は口ごもって顔を赤くした。

「で?今から来る感じ?俺、帰った方がいい?」

「いや、それがもう―――」

ピンポーン――

インターホンが鳴ったと思ったら次いでドンドンと扉を叩く音がした。

「すぐ着くって。」

「…ってか着いたね。」

「ごめん。せっかく久しぶりに2人でまったりだったのに。」

「それはいいから雛姫、とりま服着たら?」

「は!やだぁもう。」

雛姫は盛大にため息をついてベッドから飛び降りた。

ピンポーン

ドンドン

「せんぱーい。」

いやいやそりゃあ近所迷惑だ。

先ほど雛姫が酔っ払いと言っていたがだからなのか。

1回会ったことがあるとはいえ、本当に覚えていないがなんつーことすんだ。

「とりあえず、俺、出とく?」

雛姫はまだ一糸まとわぬ姿で髪も化粧も少し乱れたままだ。

俺は下を既に履いているからTシャツを着るだけ。

直ぐに対応が出来る状態にあるのでそう提案した。

どう考えても扉の外にいる子は野放しにしてはマズイ部類だと思う。

「ダメ!なんか!」

「なんで?」

普通の声を出してなんでもないことのように「なんで?」と聞いた。

けれど内心はガッカリだった。

雛姫が雛姫の友達の話をあまりしないことが前から少し気になっていた。

まぁ今いる子は友達でなく仕事の後輩らしいけど。

俺のこと誰にも言ってないのかなって感じがする。

彼氏の話題だとか相談とかまぁ愚痴だったりって友達とするもんじゃねーの?

つまり俺のこと知られたくねーのかなって不安もちょっとあったりして。

だからもちろん今まで一度も雛姫の友達に会わせてもらったことなんかない。

なんかそれってちょっと、ちょっとさ。

「だってそんな!その、それだとさっきまでしてましたってのバレバレ…!」

「あー。まぁ。うん。」

確かにな。

さっきのダメはそういうダメなわけ、ね。

でも応対するの遅かったらどのみちバレバレじゃね?

「じゃ、まぁ頑張れ。」

言いながら雛姫が焦って手こずってるブラのホックを止めてやる。

雛姫は服を着て髪の毛をまとめ上げると寝室を出て扉を閉めた。

それからパタパタと玄関に向かった。

俺は、はぁっと重たい息を吐き出してからベッドに座り直して本の続きを読み進めることにした。

が、案の定、本の内容なんか入っちゃこない。

俺だって俺の親しい人と雛姫を会わせてなんかいない。

でもだってそれは雛姫が呼んでも絶対に楽屋になんか来ちゃくれないからだ。

たまに雛姫が何を考えているのか見えなくてジュクジュクする。



「お待たせ、胡桃ちゃん。」

「せんぱーい。」

胡桃と思われる女の子が泣き声をあげた。

寝室にいても玄関で話す2人の声がハッキリと聞こえてくる。

「今日はデートじゃなかったの?」

「うぅぅぅ。相手、彼女持ちだったんですよぉ。」

「えー。」

「いないって言ってたのに。待ち合わせ場所に言ったら彼女と一緒で修羅場ですよぉ。」

「えぇ・・・」

「超顔好みだったのにぃ。」

「・・・えっと、今来客中で。内容聞かれたくなかったら喫茶店とか…」

うんうん、丸聞こえよ。

「え!ごめんなさい。」

「いいよ。」

「コレ男の人の靴じゃないですか!まさか彼氏!?」

「・・・まぁ」

「先輩!彼氏いるなんて聞いてないですよ!いつの間に!」

あーあ、やっぱり言ってなかったわけだ。

会社の後輩は友達じゃねーけど。

でも基本的に平日毎日会う子なわけだよね。

しかもその子、休日なのに仕事以外の内容で雛姫の家に押し掛けるくらいの仲なわけだしね。

っつか声でけぇっつの。

「・・・そう、だっけなぁ。」

雛姫、とぼけるの下手過ぎ。

なんじゃそら。

「お邪魔します!!!」

パタパタと足音がする。

「彼氏さんは!?」

「胡桃ちゃん、酒臭い。ちょっと落ち着こう。」

「落ち着けませんー!紹介して下さいぃぃ。」

「解った。解ったからぁ。」

雛姫が根負けしてそう言った後、コンコンと控え目にリビングと寝室を繋ぐ扉をノックする音がした。

「紀章さん・・・こっちきて。」

この状況でぇ。

そりゃあ誰にも紹介してもらえてないことにヤキモキしてましたけどねー?

いや、いやいや別にいいけどもぉ。

開いているだけで全く読み進んでいなかった本を閉じベッドの上に置いた。

そろりとリビングへの扉を開ける。

「こんちはー。」

「ん?んんん?なんか・・・見たことがあります。」

「・・・・」

「あ!合コンで会いましたよね?」

「はい正解。」

「えーっと。あー谷山さん?」

「すげぇ。正解。」

酔っぱらってるわりに記憶力しっかりしてんな。

正直、俺は全然記憶にねーや。

「雛姫先輩、どうして教えてくれないんですかぁ?」

「えーっと。言ってなかったっけなー?」

だからとぼけるの無理あるだろっつの。

「私って2人のキューピットじゃないですか?」

「・・・うん。」

確かに。この子のおかげなわけだわ。

「だったら優しくして下さいよぉ。」

「だから、話聞くよ…。それで、今日はどうしたの?」

「デートの待ち合わせに行ったら女がいたわけですよ。」

「えーと、俺は聞いていいの?」

「聞いて下さいぃ。」

「はい・・・」

うわ、めんどくせぇー。

「修羅場だったですよー。彼女超キレてて。でも私は知らなかったわけですよ。それなのにその男黙っててなんにも言わな
いんですよ。」

「・・・・・」

漫画の話ですか?

ちょっと、いや随分と、雛姫と毛色の違う子だな…。

「胡桃ちゃん、この際だからハッキリ言います。胡桃ちゃんは男を見る目がないです。」

雛姫、そんな身も蓋もない。

「そんなこと、解ってますよぉぉ。」

解ってたんだ・・・。

「でも超絶顔が好みだったんですよー。」

顔かー!この子それで泣いてんのー?

「顔で選んではいけないの!」

「じゃあ雛姫先輩は彼氏さんの顔は好みじゃないんですか?」

「・・・それは好きですけども。」

説得力ねーわ。

なんじゃこの子らの会話。

ただでさえ女子の会話なんか意味わかんねーのに更に内容がぶっ飛んでねーか?

「惚気てるじゃないですかぁ。」

「胡桃ちゃんが聞いたんだよー!もうこの酔っぱらい!」

雛姫が冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して胡桃に手渡した。

「私も一人暮らししたいです。男連れ込み放題じゃないですか。」

「連れ込・・・。でも料理も洗濯も掃除も全部自分でやらなきゃダメなんだよ。」

「あーですよね。じゃあ先輩がつくりに来てくれたらいいじゃないですかぁ。」

いや、それは許しがたい。

「雛姫は俺の専属なので、キミは諦めて下さい。」

「ちょっと2人とも、自分のことは自分でしましょうね?」

雛姫が諭すように言った。

「そんなこと言っても甲斐甲斐しく世話してくれるとこ大好き。」

「紀章さんは生活能力なさすぎです。東京きて何年ですか!」

「いいのいいの。俺は雛姫が居れば。ごはん美味しいし。」

「勝手にラブラブしないで下さいよぉぉ。」

胡桃が涙声で訴えてきた。

「・・・ごめん。」

「・・・ごめんね。」

謝ってみたけれど2人の休日に勝手に割り込んで来たのはキミだけど。

「谷山さんってお仕事、何されてるんですかぁ?」

「技術職の歩合制のサラリーマンです。」

すらすらと答えると雛姫が呆気にとられた表情で固まった。

「なぁに?雛姫ちゃん。」

「何にも。」

「嘘ついてねーよ?」

「そうだね。」

雛姫は小さな笑い声を漏らした。

「なんかぁ谷山さんって雛姫先輩の彼氏ってタイプじゃないですよね。」

「あぁ?なんで?」

なんでだよ。何が、だよ。

「なんかぁ今まで聞いた先輩の元カレさんたちと全然感じ違うっていうかぁ。」

「ちょっと…胡桃ちゃん!」

雛姫が慌てて制止するが胡桃は全く気にした様子はない。

そんなん、別に。

そんくらいで腹立てねーよ、さすがの俺も。

「じゃあ雛姫の元カレってどんななの?」

「紀章さん!」

胡桃に聞いてみると雛姫は尚も慌てた。

そんなに焦らなくてもいいっつの。

過去に嫉妬する程ガキじゃねーよ。

いや、過去も自分のものに出来るとしたらしてるか。

全部欲しいなんてね。

そんなの我儘だけれど。

手に入るなら欲しい。

けれどそんな無理なことで怒ったりなんかしないって。



次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ