紀章

□冷たくて甘い
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冷たい男を好きになった。

好きになってしまった、と言うべきなのに。

それすら出来ない。

仕事で毎週会えるあの人が自分にまるで興味のないことばかり言ってのける。

それでも焦がれる愚かな自分に笑える。

谷山紀章という名の大先輩は冷たくて酷い男だ。




「今日も可愛いね」

「・・・ありがとうございます」

そんなことないですよ、とは言わないんだ。

だってお世辞だって解ってるもの。

お世辞を否定したってダサいだけ。

おはようの代わりにこうやって軽口を叩くんだ。

「可愛い」だとか「愛してるよ」だとか「好き」って簡単に言う。

まるで心が籠っていない。

きっと誰にでもそう。

私はその他大勢と同じ扱いをされている。


私はこの仕事に就いてまだ少し。

やっと少しずつ仕事の要領を得てきたところ。

谷山さんと一緒に仕事をするのはこの現場で2回目だった。

前は私が本当の新人の時。

役名もない役やガヤで使われるだけだった。

いつか自分もあっち側へ。

がむしゃらに走り続けてようやっとここまで来た。

名前のある役。

谷山さんと並べる役を掴んた。

それが嬉しかった。

嬉しくて、でもこの喜びは成果に対してだけなの?

役を取って、あの時に憧れた先輩と並んで仕事が出来ることに対してだけ?

ようやっとそう思って。

ただがむしゃらに追いかけたのは憧れだけではないって。

そう気が付いたらもう手遅れ。

休憩中にふざけたこと言って笑っている人が収録中に真剣な表情を見せる。

落ちる。

落とされる。

これ以上ない深みに嵌る。

そんな私に大先輩はいつも飄々とセクハラ発言。

でも「セクハラです」とか言わない。

少しでも話しかけられて嬉しいから。

愛想笑いもしない。

その他大勢と同じで居たくないから。

ふざけて笑いながらからかわれたり、たまに真剣に仕事のアドバイスをしたり。

そうやって揺さぶってくる。

まんまと揺り動かされて痺れる。





今日の分の収録が終わった。

次の仕事には少しだけ時間があって、けれど帰れる程の時間でもない。

仕方がないのでいつもゆっくりとこの現場を後にしている。

誰もいない休憩室の椅子で今日の台本を開いて復習していると谷山さんが顔を出した。

「お疲れ」

「お疲れ様です」

挨拶して終わりかと思ったのに。

そのまま徐に隣に座ってくる。

どうして。

いつもはすぐに帰っちゃうのに。

「そういえばCD聞いたよ。」

「え?」

最近発売になった個人名義の新曲のことを言っているのだろう。

まさか、聞いてくれたなんて。

嬉しい。

「お歌上手だったんだね」

「・・・ありがとうございます」

「ただのドル売り声優なわけでもないわけだ」

「・・・はあ。」

普通言うかな、そういうこと。

上げといてすぐ下げるんだ。

じゃあ歌を聞くまではそう思っていたってこと。

失礼過ぎるって。

きっとわざとそうしてる。

解ってて人を傷つけるんだね。

別に私が傷つこうが、それで私が貴方を嫌いだとか苦手になったって構わないんでしょ。

結局、私なんかに全く興味ないからそういう態度なんだ。

なんて冷たい人だろう。

そんな風にあしらったって付いてくる女、いっぱいいるんでしょうね。

「芹沢さんは実力もあるしね。ま、頑張ってね」

「・・・はい」

褒められたの?貶されたの?

適当に話してるの?

もう解んない人だな。

言葉の真意を探っていると谷山さんが立ち上がった。

私の正面に立つ。

手を伸ばしてくる。

そして頭をポンッて叩いて自動販売機のあるコーナーに消える。


ほらズルイ。

突き放しておいて繋ぎとめる。

酷い男。

ねぇ、見透かされてるの?

私の気持ちに全部気が付いてそれで弄んで笑ってるの?

優しくしなくても好きをやめられない私を試しているの?

別にいいけれど。

どうしたって変えられないのだから。

けれど泣いて縋ったりはしないわ。

振り向いてって懇願したりしない。

貴方が振り向かずに居られない存在に私がなるから。

待っててとは言わない。

直ぐだから。

直ぐに追いつくから。

好きなようにふらふらしていたらいい。

・・・そんなの強がりだけど。

もっと構って。

もっと意識して。

その他大勢と同じにしないで。

言ったら後悔する。

本当の意味で手に入れられない。

だから黙る。

ずっと、言わない。



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