達央
□痕Mark—
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友達には、年上のイケメン彼氏なんだから仕方ないじゃないって言われた。
お子様じゃ物足りないんじゃないのって。
私に魅力がないから?
だから仕方がないの?
相手はどんな人?
聞きたくもない。
遊びなの?それとも本気?
聞けるわけもない。
遊びでも、仕方ないわねって笑って許せる程、大人になれそうもない。
本気だったら捨てられるのは私の方だ。
見なかったことに出来る程、強くも出来てない。
私には達央さんしかないのに。
貴方はどうして、私を置いていっちゃうの?
見つけた時は息が出来なかった。
達央さんの首筋に、赤い、赤い痕。
痕Mark—
一週間前の夜。
達央さんの家で一緒に夕食をとった。
最近、達央さんは新曲作りで忙しくしていたので何か手伝えればと互いの時間が合う時は達央さんの家で手料理を振舞っていた。
何か手伝えれば、は嘘ではないが単純に忙しい彼に会うにはそうするのが一番だったからだ。
食事を終えて食器の後片付けをしながら一人新婚気分に浸った。
片付けが一段落してから仕事で使っている部屋に引きこもっている達央さんにコーヒーを持って行った。
部屋に入ると達央さんはヘッドフォンをして集中しているようだった。
机に向かい真剣な眼差しを向けて指でリズムを取る姿が大好きでこの横顔を盗み見るのが私の癒し。
この時間はまるで片想いの時の様にドキドキして歯痒い。
手を伸ばせば届く距離なのに集中している達央さんはまるで私に気が付かなくて。
私だけが貴方のことを大好きなの。
まるで昔に戻ったよう。
ずっとずっと好きだった先輩。
じっと見つめて心の中で唱える。
『私のこと好きになーれ。』
そうしていると、たまに私に気が付いて骨ばった音楽を生み出す魔法の指先がそっと伸びて頭を撫でてくれる。
口の両端をほのかに持ち上げて笑う顔が真綿のように優しくて、彼が仕事上のただの先輩から兼恋人に変わるまでは見せなかった表情をたくさんくれる。
私はいつも見惚れて、溺れて、つられて、はにかむの。
頭を撫でる指がそのまま髪を絡め、後頭部を引き寄せて大人のキス。
『雛姫。』
長く一緒にいた唇と唇が分かたれて、達央さんの唇が優しく私の名前を呼ぶ。
あの日、この恋が成就した時のように嬉しさで満たされていく。
慈しむ瞳が頬を彩る私を映して待望する。
『達央さん、好きです。』
だからそう言わずにはいられない。
だって世界中の何よりも貴方が恋しく慕わしい。
先週も、ただいつものようにじっと見詰めただけ。
好きになーれって祈っただけ。
その時に見つけてしまった。
達央さんの首筋に赤い痕。
私は怖くなって逃げた。
覚束ない足で必死に駆けて達央さんのマンションを後にした。
現実から、逃げ出したの。
今日まで会わずにすんだ。
すんでしまった。
お互いに多忙で、携帯の電源を落としてしまえば連絡なんてすぐに取れなくなる。
今日は所属のレコード会社に顔を出して今後のスケジュールの確認をする日。
こんな風に連絡を絶って、このまま捨てられたらどうしよう。
そう思うけれど、足は会社に向きそうもない。
もし万が一、達央さんと鉢合わせたらどうしよう。
同じところに所属していて、しかも彼は今新曲の準備中だ。
だとするとそこで偶然会っても不思議じゃない。
行きたくない。
なんて、自分の心の都合なんかで仕事を放棄することは出来ないのでレコード会社に向かった。
ちゃんと無事にスケジュール確認が出来た。
会う確率なんかほんの少しのパーセントだ。
っていうか今までここで偶然に会ったことなんかない。
達央さんは優しいから。
捨てられた私が仕事なんか出来なくなるくらいぐしゃぐしゃになってしまうのを不憫に思って何も言わないでいるだけなのかな。
本当はもう私のことなんて好きじゃないのに。
でも事務所の後輩としては大事だから。
だから捨てられない。
だけど、愛してない。
違う、達央さんはそんな人なんかじゃない。
じゃあ、私のカラダに飽きた?
私じゃ足りない?
私はお子様?
大人の女がいいの?
だから他の人と・・・。
やめて……。
こんな風にぐちゃぐちゃ考えて自分自身で傷ついてる。
私が達央さんを汚してる。
違うの。
そうじゃないの。
そんな風に思いたいわけじゃないの。
けれど目を閉じると脳裏に浮かぶの。
首筋の痕。
赤くて、赤くて、赤くて。
お願い。誰か否定して。
見間違いだと言って。
じわりと視界が滲んだ。
だって、そんなわけない。
見間違いだったらどれだけいいか。
でもそうじゃないの。
それは解ってるの。
あの日見たモノは事実なの。
それが解っているから私は苦しいの。
泣いてはいけない。
仕事があるから。
心を空ろにして。
仕事があるからと虚勢を張っているから終わると途端に泣きたくて遣り切れない。
でも泣いてはいけない。
だって明日があるから。
収録終わりのスタジオを出た瞬間が1番に辛い。
下を向いたら泣いちゃいそうになる。
だけど上を向いて歩ける程、能動的になれない。
息を詰めて歩くしかない。
今日の仕事はこれで終わりだ。
だから今、一番気持ちがぶれてる。
打ち合わせ室を出て廊下の角を曲がりエレベーターを待った。
早く帰って眠ろう。
そうでもしなきゃ渦巻いたこの気持ちが破裂しそうだ。
早く、早く、早く。
この不明瞭な気持ちが行き止まりに到着、晴れない。
逃げていて解決するなんて思ってはないけれど今はまだどうしようも出来ない。
あの赤が私の脳裏にこびりついて離れない。
逃げて逃げて逃げるしか出来ないの。
「あれー?雛姫ちゃん!」
ギクリとして、自分の瞬きがスローモーション。
ぎこちなく首を捻り振り返ると、声の主の予想は外れなかった。
「ヨークさん…」
ドクンドクンドクンドクン。
うねる。廊下がうねる。
顔を上げられない。
だって、だって。
「雛姫…!」
あぁ。
やっぱり。
達央さんがいた。
ぱしりと手を掴まれた。
もう逃げられない。
振りほどくことなんて出来ない。
だってこんなにも、熱い。
触れ合う掌が熱を帯びる。
達央さんの声を聞いた鼓膜が、映した瞳が、早鐘を打つ心臓が、私の全てが喜んでる。
「相変わらずお熱いですね。」
ヨークさんが笑う。
「悪い、ヨーク。今日はもう、このまま帰る。」
「はいはい。雛姫ちゃん、またね。」
ヨークさんが笑顔で手を振る。
「お疲れ様でした。」
なんとか声のトーンあげて、お辞儀をした。
じゃあねーっとヨークさんが背を向ける。
「あ。」
一度背を向けたヨークさんがもう一度向き直り、達央さんの肩に腕を回す。
「たつー。いくら防音だからって明日はキスマークつけてこ・な・い・で・ね。」
「……うっせっ!!」
達央さんの蹴りが入る前にひらりと交わし、ヨークさんはけたけた笑いながら走って行った。
小声で放たれたヨークさんの言葉はしっかりと私の耳に届いてしまった。
「ったく…。」
達央さんは罰が悪そうに悪態をついた。
心が張り裂けそうだ。
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