小説

□【序章】
1ページ/1ページ


「おの……れ…」


低い声の響く、暗い空間に一人の女が立って居た。
透き通るような白いその肌は、泥や血で汚れている。


小柄な女の身体には不釣り合いな大振りの剣を握締め―――その剣を所々に汚す血は、無論女のものではない。頬に散った血を拭うこともせず、女はそこに立っていた。


「…残念ね」


やがて女が呟いた。


「私の里は貴方などに滅ぼされない。沢山の人が私を慕ってくれているから…」


『人間ごときが集まったところで何が出来るというのだ。そんなものに私は殺られぬぞ――絶対に』


「―――人の絆」


これほどに強いものは他にないわ…そう言うと女は前に一歩踏み出した。


そこに…何か居る。


女の前に、うずくまるように。


紫の衣を纏った、男だ。

紫暗の瞳で長い黒髪を背に流した、その男の脇腹には、今も赤い血で塗られている。その傷を手で押さえながら―――立ち上がることさえ出来ず、男は前に立った女を睨み付けている。


血で汚れた剣を手に握った女を…。


「ねぇ、八雲」


女は呟き、男の前に屈むと、その頬にそっと触れた。


「私は貴方の事が大好きだった…今も気持ちは変わらないわ。…いつかこの里を自分の物にするって、貴方の困った夢の事を聞くのもそんなに嫌じゃなかったのよ…?」


『戯言を…』


「だから、ね」


だから…と女は繰り返した。


「私に貴方は殺せない。だけど貴方のその夢を叶えさせる訳にもいかない…」


女は立ち上がり、剣を鞘に収めた。そして代わりに腰に差していた短剣を抜いた。色とりどりの装飾が施された、手に収まるほどの小さな剣。


それを見て男は笑った。


『愚かな…。いつの日か再びこの世に居出て、この次こそこの里を手に入れてみせるぞ―――』


「えぇ、どうぞ」


切っ先を下に向け、女は剣を握り締めた。


「その時は私の子供達が…次の『水無月』がきっとこの里を守ってくれる。貴方はその時滅べば良いわ」


だから…女は言った。


「……いつかまた、あの世で逢いましょう」


女は一思いに短剣を男の頭上に振り下ろした。


凄まじい風が起こり、硝子が割れたかの様に男の姿は散って消えた。



『おのれ……ッ』


誰もいなくなったその空間に、男の声が響いた。


『忘れぬぞ!いつか…いつの日か必ずやこの里を――――!!!!』






『―――――水無月!!!』






.
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ