恋姫無双【記紀奇跡】

□白の章U
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 荒野に闊歩する一団有り。

 それは、馬車だった。四頭もの馬で引く、大型の馬車だ。土台は普通に荷車の形に近く、端から湾曲した骨組みを幾つも立て、白い布を張り、馬車の内部を見せないよう覆っている。前方には馬を引く者が二名座って手綱を捌いており、恐らくはそこから乗り込めるのだろう、後部でビロードのような織物がゆらゆらと揺れていた。

 見た目からして高官の乗っているような豪華さは感じられないが、しかしその大型馬車の周囲には、馬車を護衛するかのように騎兵が四人、四方を固めていた。馬車に乗っているのは高官では無いが、護るに値するもの――より具体的に言えば、金目の物なのだろう。

 その様子を遠目から見ていた男はにやりと下卑た笑いを浮かべ、背に控える部下達を見やる。数は、男を含めて十二名。その全員が男で、服装に統一感は無い。強いて上げるのならば、全員が全員、粗雑で野卑な雰囲気を纏っていた。薄汚れて、所々擦り切れた、痛んだ服。叩けば埃と共に汗と獣の臭いが舞いそうな出で立ち。全員が全員、その手に人を殺傷する武器を持ち、ぎらりと光る鋭い眼差しを目の前の一団に向けている。

 彼らは――盗賊だった。この擦り切れた時代に、人の道を踏み外したアウトロー。人道から溢れざるを得なかった、野蛮なる者達。政治を疎かにされ、食うに困った者達が最終的に辿り着く、畜生道。――彼らは、そういう畜生道に溢れた一端であった。

 彼らの獲物は、眼前の馬車。あの馬車の荷を強奪すれば、今日の飯を食いっぱぐれる事はまず無かろう。最低でも、馬がいる。最悪でも、護衛の肉を食えば良い。人の道を外れた彼らにとって、人肉は、敬遠するものでは無かった。
 

「さぁ行くぞ野郎共! 積荷も馬肉も人肉も俺らのもんだ!!」


 おおおおおおおおおおおおおおッッ!! と雄叫びを上げて、盗賊達は馬車へと突撃する。血走った眼を前に据え、手には分厚い曲刀「呉鉤」を持つ。たった十二人で、馬は無い。されど彼らは土煙を上げて、荷馬車の隊に横から突貫しに行く。荷馬車の護衛達は彼らの雄叫びに気付き、野卑な盗賊団に目を向けるも、全ては遅かった。


「俺ぁ戯逞(ぎてい)盗賊団の頭、思緑(しりょく)!! 通行料として命も荷物も全部置いてけやぁッ!!」


 そう――全てが、遅かった。

 思緑が名乗りを上げ、その隣を彼の部下達が走り抜ける。戯逞盗賊団の兵達は獣のような雄叫びを置き去りに、護衛兵に接触した。

 瞬間、四人の首が跳ね飛んだ。

 それは荷馬車を護る護衛兵達の首では無く、戯逞盗賊団の首だった。まだ若いだろう首も、貫禄を持った首も、裏家業で傷を負った首も、全て同列に。全て平等に。一瞬にして、刈り取られた。


「――はぁ……?」


 思緑が目を疑うのも当然だろう。彼らはこれでも、裏家業で生きてきた者達だ。正式に訓練を受けた軍人には敵わないまでも、素人に負けた事は無い。その心には自負心と自尊心が宿り、彼らはそれを誇りに生きてきたのだ。

 それが、こんな道とも言えぬ荒野の一角で、踏み躙られた。
 
 戯逞盗賊団の彼らには解らないだろうが、敗因を挙げるとすれば、その驕りだろう。数は勝っていた。護衛兵は鎧などの防具を身に着けていない。そして自分達は、軍には勝てないがそれなりに強いという、勘違い。自負心と自尊心、誇りと云う名の……怠惰心。心の翳り。油断。堕落。それらが、彼らの敗因だった。

 一瞬にして四人の首が刈り取られた。次の一瞬で、もう四人の首が。最後の一瞬で、残り三人の首が刈り取られた。それを、戯逞盗賊団の頭・思緑は、まざまざと見せ付けられて佇む。

 土の臭いに混じり、辺りに血の臭いが流れる。護衛兵の一人だけ、武器に血がべっとりと付着していた。相手は、たった一人で十一人を惨殺したのだ。そんな奴が四人相手。荷馬車の奴を含めれば六人も。更に自分は馬を持っていなく、相手は騎兵だ。逃げる事さえ出来ない。

 今まで自分を奮い立たせていた誇りの突然の欠如に、思緑は何らかの感情を波立たせる事も出来ず、ただ呆然と座り込んでしまった。蹄の音を立てて、相手はゆっくりと自分に近付いて来ていると言うのに……。

 そんな蹄音の中に、いっそ場違いと言える声が割り込んだ。


「なぁーによ先刻っから、うぅるっっさいわねぇ……」


 天幕を張った荷馬車から、女が一人出てくる。黒髪褐色の女だ。長い黒髪を無造作になびかせて、女は裸足で荒野に立つ。恐らくは寝起きなのだろう、その姿勢は時折、ふらふらと泳いでいた。黒いロングコートを一枚だけ羽織り、前を全開にして褐色の肌を惜しげも無く晒している。身に着けているのは、そのロングコート以外には薄桃色の下着のみだ。
 
 いやに扇情的な女だった。出るトコは出ていて、引っ込むべき場所は引っ込んでいる。男の淫欲をそそらせるその姿は、娼婦にも見えた。しかし、彼女が娼婦だとしたら、余りにも場違いだろう。起きていれば、どんぐりのようにぱっちりとした眼だろうその目を眠気に歪め、欠伸を噛み殺しながら、女は思緑を見る。知らない男の前で肌を晒すのに、なんの抵抗も感じてはいないようだ。あるいは、彼女は思緑や周りの護衛達を、人としても見ていないのかもしれない。


「フェイ、どうやら盗賊のようです」

「なに、盗賊ぅ? 随分とまぁ思慮に欠けた方々ね」


 護衛の一人が女に報告する。女の名は、フェイと言うらしい。フェイは呟いて周りを見渡し、肉の浸った赤い水溜りを見て、溜息を吐いた。


「どう致しますか? 奴隷商に売り飛ばすのも有りかと」

「全っ然、有りじゃないわ。男の奴隷なんて力仕事以外はよっぽど頭のぶっ飛んだ豚しか買わないし、所詮消耗品じゃない。躾ける労力と時間と食料と備品の無駄よ。まだ老婆の方が金になるわ。――猛嗣、華徳」


 フェイは、後ろに控えていた騎兵を二名呼びつけ、血溜りを指差す。


「あの中から武器だけを運びなさい。この時代、研磨すれば武器は幾らでも売れるからね。鎧と服は血塗れだし要らないわ。――で、貴方」


 フェイが思緑を見、彼は盗賊団の頭であった事を金繰り捨てたかのように短い悲鳴を上げた。フェイは容赦無くその胸を蹴り潰し、全体重をかける。下のアングルからフェイの下着を観察出来る体勢だが、扇情的な雰囲気にはなれそうも無い。


「朗報よ。貴方の基地の備蓄品を全部献上しなさい。貴方の食べ物も、飲み物も、鎧も服も武器も全てを差し出しなさい。それで、貴方の命を買ってあげるわ」


 退くには――全てが遅かった。


 
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