花筏−おもひのいろ−
□第二章 花宴・前編
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晴れ晴れと、穏やかな春の陽射しが降りそそぐ昼下がり。朝方から伊賀衆はあっちにこっちにと右往左往、今夜行われる宴の準備に忙しく立ち回っていた。
キュッ キュッ キュッ
「なかなか落ちねぇな。もぅ少し強くこすらねぇと・・・」
キュッ キュッ キュッ
「ちっ!とれねぇなっ!」
拝み倒すような姿で、床にへばりつき、汚れと格闘しているのは、伊賀十人衆でも若手の一人、夜叉丸である。
先刻から床吹きをしており、普段みられる美少年の風格など今は微塵もく、長い間床とにらめっこをくりひろげている。
キュッ キュッ キュッ
「っくしょ−!落ちねぇ−!!」
「ククッ苦戦しとるようじゃのぅ夜叉丸」
海老ぞりになり頭を抱えた夜叉丸に、ニヤニヤと楽しそうに声をかけたのは伊賀十人衆の特攻隊長、蓑念鬼。特盛の頭髪は本体が笑とクネクネと奇妙に動く。
「落ちねぇんだよっ!さっきから研いて研いて研きまくってるのによぉ〜!」
「難儀じゃのぅ〜」
ポンっと肩を叩きながら、ぷく〜と口を尖らせた夜叉丸の隣に腰をおろした念鬼は
「それより見ろ、いい酒が手に入ったぞ!」
ニカッと不適な笑みをもらすと、次々と特盛頭髪から酒瓶をとりだしていく。
その光景にドン引きした夜叉丸は、口をへの字に下げポツリと一言
「・・・飲みたくねぇ・・・」
「何じゃっ!?」
すかさず念鬼は夜叉丸を睨むようにのぞきこむ。あわててちょこんと小さく正座した夜叉丸は
「いやっ、でっ、どの様なものを買ってきたんですか?」
「聞いて驚け〜!伏見の名酒『桜』じゃっ!幻の名酒でのぅ、手に入れるのも至難の技じゃ。街へ降りては酒屋を何軒も何軒もはしごしても見つからず、幾度涙を呑んだことか・・・。それが今やっと、やっとこの手に・・・。!感無量でさっきから胸がいっぱいでのぅ〜♪」
スリスリと酒瓶に頬づりしながらクネクネさせる念鬼に、顔を背けオェと気持ち悪そうに舌をだす夜叉丸は棒読みに
「よかったじゃないですか ー、念鬼殿お墨付きの酒なら甲賀衆も満足することでしょーねー」
と口をすべらせてしまった。ハッと気づいて恐る恐る念鬼の方にふりむくと、さっきまでの幸せ満開の空気はどす黒い負の空気に変化して、念鬼は悲しそうに夜叉丸を見つめたつぶやいた
「・・・甲賀者にやらんといけんのかのぅ」
「そっ、それは、念鬼殿のお役目は酒の買い出しだし、もっもちろん宴に出すのが当然かと・・・」
「・・・そうか、そうじゃな・・・。和睦の宴で、幻の名酒を出すのは打ってつけじゃ甲賀者も喜ぶ・・・っちぃ、せっかくの名酒、甲賀者にくれてやるくらいなら、毒でもいれてくれるわぁーっ!」
念鬼は酒瓶を見つめ、荒々しく息巻きはじめる。危ない発言をきいて夜叉丸はあわてて
「えっ!いや、冗談だろな念鬼のおっさんよぉっ!気持ちは分かるけど、そりゃ不味いって!」
「わかっとるわぃ!ただの戯れ言じゃ、夜叉丸よ!」
ギロリと鋭い眼で睨みつつ唸るようにつぶやいた。それを聞いて、ホッと胸をなでおろした夜叉丸は笑いながら、念鬼の肩を叩き
「だよなぁ!驚かすなよ、おっさん!」
「『おっさん』とは何じゃ夜叉丸・・・、目上に対して口の聞き方がなっておらんのぅ・・・」
ギロリと念鬼は眼を光らせ、ドスの効いた声で夜叉丸ににじりよる
「えっ、いや、つい・・・。言葉のあやって言うやつで・・・」
迫り来る念鬼から逃れようと後退りする夜叉丸は、ふと思い出したようにつぶやいた
「そっ、そういえば小四郎を見掛けなかったですかねっ!?」
「小四郎?知らんぞ」
「あいつも一緒に床吹きのお役目を申し付けられたんですけど、見当たらないんですよっ!」
「案の定、どこぞやで空を見つつポカーンとサボっておるのじゃろう!あやつ、宴を前にして呆けておったからのぅ」
「はぁ〜、だろうなぁ・・・」
「あやつ目、朧さまに懸想しておろう。そう易々と、恋慕の情は断ち切れんものじゃ。思い悩むのもようわかる、が、お役目を忘れ呆けるなど言語道断!更に朧さまを甲賀者にくれてやるのも言語道断!この酒もじゃっ!いいか、よ〜く聞け!」
念鬼は怒鳴り散らしながらガシッと、夜叉丸の肩を毛むくじゃらの手で掴む
「はは・・・まぁ・・・ですよやねぇ・・・(くっそ〜、小四郎テメェのせいだっ!おぼえてろよ〜!)。」
体を前後に揺さぶられ、苦笑まじりの夜叉丸はこの後、念鬼のぼやきを延々と聞かされたとか聞かされなかったとか・・・
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