花筏−おもひのいろ−

□前日譚 花蕊
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小四郎と夕澄ふたりが出逢う半年前、時を遡ること
ー 慶長十八年十一月 ー


立冬を迎え、朝夕の冷たい風が身に染みる季節、
裸になった木々の梢に、冬の訪れが間近にせまる甲賀卍谷

頭領屋敷の一郭にある稽古場に、薬箱を片手にたずさえた夕澄は、
静々とした足取りで場内に潜り込む



「はぁ…っ、ぁあっ、つあぁ…んっ…」


女子の喘ぎ声がこだます稽古場に年若い娘たちが数名、
眼前で繰り広げられている行為を固唾をのみ見守る中、

夕澄は少しの間を空けゆっくりと座り込んだ



あぁっ‼…と一際艶めかしい悲鳴(こえ)が響き渡る


フー…と一つ歎声を上げ褥(しとね)から起き上がり、
やれやれと言った面持ちの左衛門は横になる娘に指南完了を告げた


その横で淡々と見守っていた夕澄はそっと薬箱を開くと秘薬を取り出す


会得したとは言え不安なのか、それとも左衛門との褥がこれきりと名残惜しいのか、
でも…と自信なさげに口ごもる娘に夕澄は優しく力付ける


「左衛門のお墨付きを得たのです安堵なさい、晴れて一人前のくノ一となったのです。
 免許皆伝めでたきことですよ。」


励ましながら娘の手をとり秘薬を渡すと、

(三日夜、食(じき)ののち少量ずつ…必ずね)

と、そっと耳もとで囁いた


今日の指南はこれまでと左衛門が命ずると、娘たちは手をつき
謝辞を述べ稽古場を後にした



しんーと静まった場内に二人…



「指南役ご苦労さまです左衛門。」


先ほどまで行われていた色指南=房中術を検分していた
夕澄は微動たりともせず、淡々とした口調で
召し物を直し終えた左衛門に水を渡しながら、ねぎらいの声をかける


「いやはや…お役目とは申せ、娘たちに手ほどきするのは、
 やはり気が引けますなぁ。」


左衛門として男、お役目=指南役として男女の睦み事を
意中の人ー夕澄ーに毎度目撃されるのは
些か心苦しくやり切れない思いであった


「ふふ、左衛門は人気者ですからね。刑部や丈介たちが
 指南役の時と違って娘たちの意気込み様といったら…、
 頬を赤く染めながらも、目を輝かせ、すべて取りこぼしがないよう、
 隅から隅まで飲み込んで学んでおりますよ?
 貴方が指南役の時に会得する娘が多いのは名指南としての証…
 誇りに思われては!?」


甲賀卍谷秘伝の房中術を編み出し薬師の葉末である夕澄ー…、

師である祖母と共に齢十二で色指南を検分してきた
その鋭い眼力は総てにおきお見通しであった


名指南と太鼓判をおされ、心中穏やかならぬ左衛門は
はぁ…と深く溜め息を吐き苦笑交じりに愚痴をこぼす


「そぅ…申されましても、家に帰ればお胡夷が苦虫を潰した面で、
 某にちくちく嫌味をたれ責められることの方が 余計気が引けるのですよ…。」


「まぁっ…かような事が?ふふお胡夷ったら…相も変わらずのやきもち屋…
 ほんに可愛らしいこと。」


クスクスと如月兄妹の痴話喧嘩?を聞き、やや不憫そうにも可笑しく声を上げる

そんな夕澄を横目で見つつ左衛門は少しずつ間を詰める
時分、己に関心を示す夕澄の心を少しでも取りこぼさんと
哀愁を含んだ声色で返した


「いえ《アレ》は、些か度を越しております故、ほとほと困り果てて居るのです。
 しかし、仰せつかったお役目、任を果たさねばなりません。
 故にお胡夷もいつかは道理をわきまえてくれると思うてはおりまするが…。
 何時になるやら…と思い悩んでおるのですよ。」


「…今は承服し難い事柄でも、自然と受け入れていくもの…
 いつか…は…。」


と夕澄は遠くを見つめながら呟くとゆるりと立ち上がり稽古場を後にする



一人取り残されし左衛門は、相も変わらずつれない夕澄の様子に消沈しつつも、

今しがた夕澄がつむんだ言の葉の意味を察するに…

心の中である不安がよぎった…



中秋の宴で一際話題となった、色指南の新目付け役…

長きに渡り目付け役として勤めてき夕澄の祖母が亡くなり早三月、

目付け役不在の今、色指南にも不足が目立ちはじめ、
新たな目付け役就任が待望される中、


そのお役目は夕澄さま一人を置いて適任はいない…


それは卍谷衆一同の量見…と言うのが男衆の表立った理由であるが、真意は別の所にあった

色指南の目付け役となれば、
秘伝の房中術、総てに精通しおらねばならない…


つもるところ未だ手つかずの夕澄を《女》にするという、
 これ程までにない僥倖にありつきたい‼

という色欲からくる邪極まりない猥談に男衆ばかりの宴…

否応かな酒の席とは言え、宗家の姫に対し不埒旋盤な題目に盛り上がる家臣たちに、
見かねた弦之介が冷然とした口調で一同をたしなめ其れまでとなったが…


…ーあの時の弦之介様のご様子ー…


いま思い出すだに背筋が凍る

厳たるお言葉の中に潜む激しい憤り…一瞬ではあるが恐怖を覚えずにはおられなんだ…



姫様が絡むこととなれば気色を変えぬまでも粛々たる裁断をなさる弦之介様



それほどまでに深く慈しみ

そして…愛されておられるのだ

夕澄さまを…





 
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