文V

□君はいてくれるだけで
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「もうやだ。仕事辞める」

ソファにだらしなく寝そべっていた宍戸は、突然そんなことをわめきだした。

それまでいつもより口数の少ない恋人の様子を気にかけながら仕事のメールを打っていた跡部は、手を止めてソファに顔を向ける。

「なぁー、跡部の愛人にしてくんねぇ?」

ご機嫌斜めだった恋人が、魅惑的な瞳でちらりとこちらを伺ってきて、そんな事を言うもののだから、跡部は考えることも忘れて頷いた。

「あぁ、分かった」

跡部の返事に宍戸は盛大に顔をしかめた。

どうやら答えを間違えたようだと跡部は冷静に分析しながら、とりあえず打ちかけだったメールを送るとノートパソコンを閉じた。

「分かったってなんだよ!もっと励ますとか何かあンだろ」

ソファでぶつぶつ文句を言っている恋人の顔には確かに疲れが滲んでいて、明らかに働きすぎであることが見てとれた。

跡部はソファに寝転んだままの宍戸を強引に引き寄せて抱き締める。

「お前が仕事を辞めて愛人になってくれれば、晴れて俺はお前を24時間独占してどこへでも連れ回せる権利を手に入れられるんだろ?愛人になってくれと土下座したっていい」

耳元で正直に囁けば、宍戸は恥ずかしがって悪態をつくが、どうにか機嫌を直してくれたようだった。

「ばぁか、甘えちまうだろ・・・」

仕事で嫌なことばかりあったのか、宍戸は珍しく弱々しい声で言ってから、跡部の肩口に顔を埋めた。

甘えてしまえばいいのに・・・と辛そうな恋人の様子を見ていられない跡部は思ったが、それを口に出すと責任感の強い恋人の神経を逆撫でてしまうことが分かっていたのであえて口をつぐんだ。

「がんばりすぎだ。心配になる」

跡部はあやすように宍戸の背を撫でながら、その蒼い瞳を細めた。

恋人はまだ何やら物憂い様子で考え込んでいる。

跡部がじっと見守っていると、宍戸はため息を一つついて跡部から体を離した。

「あー、明日仕事行きたくねぇなぁ…」

弱音を吐く姿を見せてくれる恋人があまりに愛しくて、跡部は胸が張り裂けそうなほど切なくなったが何も言わずに宍戸を見つめる。

「なぁ、愛人じゃなくてもずっと側にいてくれる?」

宍戸が真剣な表情で、あまりに可愛らしいことを言うものだから、思わずニヤけてしまいそうだったが、思いつめた恋人にはとても重要な質問のようなので、跡部も真剣な表情で頷いた。

「当たり前だろうが。お前が何してようが、ずっと俺様の側からはなさねぇよ」

手を握って力強く宍戸の体を抱き締める。

この愛の全てが、宍戸を何より大事に思うこの気持ちの全てが、宍戸に伝わるように。そして、宍戸の苦悩を少しでも軽くしてやれるように、跡部は祈りながら宍戸を抱き締めた。

「ん…」

今度の答えは間違っていなかったようで、宍戸は跡部の気持ちを受け取るように跡部の背に回した腕に力を込めた。

「もうちょっとだけ、がんばってみるかぁ」

宍戸が小さな声で呟いた。

宍戸は学生時代から一見すると、がむしゃらで前向きな性格だったが、いつもこうやって崩れ折れそうな自分を鼓舞して強がっていたことを跡部は知っている。

こうして前を向くために少しでも自分が役に立つことができていればいい。

「今度の休みは泊まりでどこか行くか」

過労気味の恋人が少しの間でも現実逃避できるように、最高の休日をプレゼントするくらいしか、今の自分にできることはないと分かっているので、跡部は極力明るい口調で優しく囁いた。

「いいのかよ」

気遣いが伝わってしまったようで、宍戸は少し申し訳なさそうな様子でぶっきらぼうに訊ねてくる。

「ああ、カナダでも行くか?」

跡部は半分本気だったのだが、宍戸は冗談だと思ったのだろう喉の奥で笑った。

その顔があまりに無邪気で可愛いかったから、跡部は宍戸の首筋に唇を寄せてキスをした。

「国内でいい。テニスしてぇ!岳人達も呼ぼうぜー!」

またアイツらとテニスか…。跡部は少しがっかりしたが、宍戸が学生時代のように瞳を輝かせて笑うので、微笑みながら頷いてやった。

「勝つのは俺様だけどな」

「最近なまってるくせによく言うぜ」

学生時代からよく口にしていた横柄な跡部の言葉に、宍戸は思わず吹き出した。

そしてそのまま、跡部の首を抱き寄せて自分からキスをする。

「愛してるぜ、跡部様」

跡部はどうしようもない愛しさを感じながら、宍戸に深い口づけを返した。



end

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