小説

□‡[Specific gravity]
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■NEURO SIDE.


「・・・・」

別に驚く事ではないだろう。
地上の月日は確かに流れたのだから、ヤコとて多少の変化があるのは生き物として当然の摂理だ。

…今もこの掌に残る感触。
それがどんなに柔らかかろうと、鼻孔を掠めた匂いがどんなに糖度を増していようと、
そんなものは、日々繰り返される新陳代謝の賜物だ。
見た目や触り具合がどう変化したところで、ウジムシがハエにしかならないように、
目糞鼻糞であり、五十歩百歩なのだ。

つまり…3年後だろうが10年後だろうが、ヤコはヤコにしかならん。


フン…せっかくだからこの部屋を使ってやったが…
そもそも部屋を分ける事に何の意味がある。
我が輩にとっては紙のような壁と、存在しないも同然の鍵付きのドア…それがあるだけではないか。

そうだ、こんなものに意味など無い。あのドアなどこの指一本で開くのだから。


薄い布に覆われたベッドへ、ヤコから渡された鍵をほおる…軽い鍵は、布の上を跳ねて止まった。

「・・・チッ」


では何故我が輩はこのままなのだ…?
この部屋に入ってから灯りすら点けず、何時間も天井に居座り続けている理由は?

「・・・・・・・」

“物質の重さは量れても、感情の重さは計れない”そう理解しているからだ。


貴様に流れた時間…それと同等の想いを、我が輩は戻る過程で経験した。
貴様の声、匂い、面影、思考…繋いだ記憶の全てを手繰りながらな…

貴様と共に経験した感情を紐解き反復する度に、
地上という場所、人間という種族・・・ヤコという女…それらに対する我が輩の想いを、我が輩自身の手で暴き、そして確定付けた。

…無駄なものなど何も無かったぞ。
その全てが貴様に通じ、我が輩を再び地上へ導く糧となったのだから。

形も色も重量も何も無く、捉える余地などないと思ってきたものが…我が輩を導く鍵となった。


だが、皮肉なものだなヤコよ。
時間も、空間すら越えて来た我が輩を、今貴様から遠ざけているものの正体もまた、感情なのか…

紙の壁と綿ほどの鍵が、厚く重く…この身体を縛る。

今までの我が輩ならどんな壁もどんな扉も抉じ開け、欲しいものはこの手にしてきた。
ヤコとの拘わりも、我が輩からすればいつも通りの行動だったのだ。

だがそれが出来たのは、対象の感情を理解していなかったからではなく、
……我が輩自身が、自分の感情を理解していなかったからに他ならない。


――――よって…
今我が輩をこの場に縛っているものは、ヤコが築いた壁でも鍵でもなく、
ヤコの些細な感触の変化で、比重が変動するまでに育った、我が輩自身のこの感情――――――


・・・・だがさて、どうするべきか。
今我が輩が置かれている状況分析は、大体これで間違いないだろうが…
対処法が思い当たらないのでは話にならん。

こういう場合において、参考に出来そうな記憶が無いのだ。
それは我が輩の周りにいた人間の雄どものせいとも言えよう…女っ気が無いにも程がある。

「・・・・・」

…このとき始めて、我が輩はHALの死を悼んだ。
たった一人の女に固執し、あれだけの謎を作り上げたのだから…生きていさえいれば話を聞いてやっても良かったものを。


…フン、そのHALですら0になる事でしか答えに辿り着けなかったのだから、奴に聞いても所詮は堂々巡りか。

だがHAL…我が輩、固執の意味を理解したぞ。

貴様の本体が生前残したシステム…それは我が輩の生命を繋いだ。
ヒグチの言ったようにそれが因縁であるなら、我が輩は貴様が築けなかった未来を…1の世界で構築して見せてやろう。
ヤコと共にな(方法は模索中だが)


「 ! 」

過去の記憶に思いを馳せていると、不意にジャケットの中の携帯が静寂を切り裂いた。


□YAKO SIDE.


誰も居ないのかもしれない部屋。
その部屋に面した壁に背中を凭れると、薄着の背中にヒンヤリとした冷たさが伝わってきた…

熱を持った肌に心地いいのとは裏腹に、重さを増した寂しさが、指の動きを急かさせる。

通話履歴からネウロの番号を拾い、通話ボタンを押す。
すると、聴き慣れたネウロの着メロが微かに耳に流れ込んで……って、着メロ!?


『…なんだ』

「ネ、ネウロ部屋に居たの!?」

『居ては悪かったか?』

「い…いや、悪くはないけど…何の音も聞こえなかったから出掛けたのかと思ってた…」

じゃあこいつ、いったい部屋で何やって…?


『ほう…我が輩をその部屋から追い出しておいて、聞き耳を立てていたという訳か…最早変態の領域だな』

「ち、違うからっ!」

そりゃ追い出したけど…聞き耳も立ててたけど変態はなくない??

『で、貴様から我が輩を追い出しておいて何の用だ?』

うわ…2回言ったよ。

「用って訳じゃないけど、居ないみたいだからどこ行ったのかなぁって、気になっただけだってば」

『自ら追い出した相手を気にかけるなんて、随分とお優しいじゃないですか?先生』

じょ、助手口調で3回目って…こいつどんだけ根に持ってんの!!?

違うのに…私はネウロを排除したかった訳じゃなくて、ただ…


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