小説
□‡嘘の価値.
1ページ/3ページ
「ねぇ…」
「なんだ」
「ちょっと本来の姿になってくれない?」
「・・・・・」
トロイに頬杖をつき本に視線を落としていたネウロは、キョトンとした表情で目を丸くした。
「…理由は」
「見たいから」
「断る」
「…即答?」
「見世物になる趣味など無い」
吐き捨てるように答えると、今度は私から身体を背け、再び活字の列へと潜っていった。
…だよねぇ、私のゆう事なんてコイツが利くはず無いもんな。
私は、さっき読んでいた雑誌のページを開く。
[ホワイトデー特集!彼の本気とウソを見分ける方法]
そこに書かれてあった内容は、バレンタインに、恋しい相手にチョコを渡した女の子達を対象としている物で…まあ、
誰にもチョコを渡してもいない私は、その対象ですら無い訳なんだけど。
…でも、本気なのか嘘なのか、見極めてみたい相手がいるからなんだろうな…
いつもなら、文字を目に映した記憶すら残らないようなピンク色をしたページが、私の目を捉えて離してくれなくなっていた。
そしてその見極めたい対象は……ネウロ、あんたなんだよ。
…ごめん、でも嘘つきなのは私だ。
丁度一ヶ月前、あんたが私にした事を、私の脳は鮮明に記憶している。
引き寄せられた時の勢い。
視界を塞ぐ青。
それを押しのける間すら与えてくれなかった、意志の籠る腕の力強さも、一瞬細められた目も…
全部全部、ネウロの唇の感触ごと…憶えてる。
だから、五感を総動員して体験した感覚は、記憶を突付く度に、あの時感じてしまった痛みを伴って溢れ出す。
私は横を向くネウロに、一方通行な思考を注ぐ…
何でだと思う?
私が嘘をついてしまった事にも、ちゃんと理由があるんだよ。
それはね…ネウロ、
“嬉しかった”から…なんだよ。あの時、“嬉しかった”私は…心が痛かった。
だってあの時あんたは、私を道具として使ったんでしょ?
あの人の知る権利を奪う為の…道具だったんだよね?私。
あんたが使う魔界道具、私もその中のひとつ…だから、あんな事が出来るんだよね。
私には最初から、知らないでいる権利すら与えられてはいなかった…出会った時点で無理矢理突き付けられた異端。
『もしも…もしもネウロの正体を知らずに出会っていたら』
私達の関係に『if』なんて有り得るはず無いのに…そう解っていても、自問自答はぐるぐる廻る。
「貴様は1ページ読み終えるのに、どれだけの時間が必要なのだ」
「! ちょっ、何時の間に!?」
ソファーに座り、ホワイトデー特集のページに視線を落としたままになっていた、私の顔数センチ隣りからその声は掛けられた。
…顔の向きが上下逆でだけど。
条件反射的に顔を向けてしまった位置には当然の如く、今私の思考の全てを握っている魔人のドアップが在った。
「うっ・・・・」
私は慌てて頭を180度ブンッ!と振り、見られたくない表情と、それと同じくらい読まれたくない…膝の上に広げてあった雑誌を閉じた。
「…ふむ、ホワイトデーか…ミジンコ風情の貴様の事、義理チョコとやらの回収で頭がいっぱいなのだろう」
…見えなくても言葉尻の発し方で解るよ…今すんごく嫌味な顔でニヤついてる絶対っ!!
てか、やっぱ見られちゃったかさっきのページ…まあいいけどね別に。
あのページを見ていた私が、何を考えていたか…なんて、読めるヤツじゃないし。
そもそも…道具の思考なんて読む意味すら無いもんね。
「はいはいそーだよ!そんな訳で、私は今からバレンタインデーの回収に行くから帰るね、また明日!」
私は、ネウロに後頭部を向けたまま立ち上がり、ドアへと向かう。
「 ヤコ 」
反転したままの唇が、私を呼び止める。既に離れた位置にいるネウロに、私は漸く視線を向けた。
「…なによ」
「生ゴミの回収が済んだら、ここに戻れ」
は…?
「なんで?今だって既に暗くなりかけてんのに、戻るの何時になるかわかんないよ?」
「構わん、むしろ好都合だ」
「…いや、だからなん…あ、はい…戻ります…」
外しかけている革手袋の隙間から、凶悪な刃物が鈍く光り…それが任意ではなく強制である事を告げている。
…私はソソクサと事務所を後にした。
* * * * *
勢いあまって出て来たはいいけど…さて、どこ行こう。
今年のバレンタインデーをすっかり忘れていた私は、本命はおろか義理チョコですら誰にもあげてない。
あげてない物が返ってくるはずもなく…例えあげていたって、いくら私でも自分から回収に行くはずないだろ馬鹿ネウロ!!
ああ、 イライラする。
元々忘れてたくらいに、私にとってあまり意味の無かったはずのバレンタインデー…その日に起きた惨事。
いや、惨事ってよりは珍事の方が合ってる気もする…だって陳腐じゃん、誰かを振る為の道具としてファーストキスを奪われるなんてさ…
その珍事を忘れた振りをする事で、日に日に募ってきたストレス。
持って行き場の無いイライラが、もう限界なんだと告げている…
一ヶ月間、堂々巡りを繰り返してきた自問自答だけど…本当はちゃんと解ってる。
『if』なんて、私に限らず誰にも無いんだ…起こった事も、受け入れた振りをしてきたあいつの正体も、私がキッチリ乗り越えないとダメなんだよ。
――不意のクラクションに、塞がれていた私の耳は抉じ開けられる…
下を向いていた顔を上げ、見渡した街並みは…既にスッポリと日が暮れていた。
バレンタインも共にしていたであろう恋人達が、距離を詰めて笑い合う。
…でも、例え人間と人間であっても、そうなるには努力が必要だったんだろうな…
私とネウロの間に横たわったままの先入観だって、要は同じなのかもしれない。
そして何よりも、あの時ネウロが引き寄せて距離を詰めてくれた事を、“嬉しい”と感じてしまった私は…乗り越えてみるより他に道は無いんだろう。
…もうそろそろ、戻ってもいい頃合いかな…
あいつが戻れと言った理由は解らない。でももう一度頼んでみよう…乗り越える為に。
私は悶々としながら歩いた道程を、今度は決意を固めた足取りで、引き戻り始めた。
.