06/16の日記

02:27
琴の憂鬱〜現代編登場人物紹介
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琴→天界族天使。仕事はわりとこなせる優等生。

龍之介→神木家長男。姫乃と雪成の兄。

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02:23
琴の憂鬱〜現代編
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「チェックメイト」

 龍之介は涼しい顔で、ナイトの駒を動かした。

 対峙していた琴は「あ!」と声を上げた。

「さあ、どうする?」
 もう打つ手はないだろうと云わんばかりに、龍之介は余裕の笑みを浮かべる。

「…残念ながら手がない。降参だ」
 琴は諦めて軽く両手を上げた。


 天気のいい昼下がり。

 琴は神木邸のテラスで龍之介とチェスをしていた。
 最近龍之介とのボードゲームに夢中になっている。

「うーん…。今日こそ勝てると思ったんだが…」

 ただ今、琴は全敗中。

 今までチェスと将棋だけは誰にも負けたことがなかったのだが、初めて龍之介に負け、そのまま打ちのめされて来ている。

「最後の詰めが甘くなるね。もうひと読みすればいいと思うよ」

「そんなの云われなくても分かっている。ちょっとの差なんだ。おまえが私に将棋で勝てないように」

「相変わらず、痛いところをついてくるね。抜かりないなあ」
 龍之介は、ちょっと遠い目で空を見やる。

 チェスに関しては龍之介は負け無しだが、将棋は琴に全敗中だった。

 ゲームのルール的には大差ないとは思うのだが、何が違うのだろうか。

 唯一、対等に勝敗が決められるのが囲碁だった。

 龍之介はチェス盤を片付け、碁盤を持ってくる。

 その際、テラスを通り掛かったメイドに、客人が来ているからお茶を用意するように頼んだ。

 メイドは快く返事をし、急ぎ足で奥へと消えていった。


「じゃあ、今度はこれで対等に行こうか」

 碁石を琴に手渡し、龍之介は席についた。

「将棋はやらないのか?」
 第一手を打ちながら琴が龍之介に尋ねる。

「今は勝てる気がしなくてね」

 龍之介が一手を打ち返す。

「逃げるのか?」

「逃げる気はないよ。ただ、今は気分じゃあない。そんなときだってあるだろう?」

 両者ごちゃごちゃと云い合いながら打ち続ける。
 端から聞いていると、仲がいいのか悪いのかよく分からない。

「……ところでおまえ、ホントのところどうなんだ?」

「なにがだい?」

「姫乃のことだ。凛太郎にあんな態度を取りながら、内心はそうでもないのではないか?」
「さあね」
 びしっと龍之介は碁石を打ち続ける。

「ほう。その手できたか。動揺している証拠だ」
 あくまで冷静に琴は打ち続ける。

 しばらく沈黙が続いた。
 ……。

 ぱちっ。

 ……。

 ぱち。

 ……。

 ぱちっ。

 ……。


「雛乃とよく似ているな。あまのじゃくなところは父親譲りか。親子だな」
「……」
「そんなに嫌いじゃないんだろ」
「……嫌いだね」
 間髪入れずに龍之介は即答する。
 琴はやれやれと肩をすくめる。
「今時、あんないい子は天然記念物級に珍しいと思うがな。姫乃に変な虫がつくよりいいじゃないか」
「誰にも渡さないよ」
「ひねくれ者」

 ぱち…。

 琴の一手に、龍之介の手が止まった。
「心が乱れている証拠だ。打つ手がないだろう。私の勝ちだな」
 琴が勝ち誇った笑みを浮かべる。

 龍之介は表情を変えることなく碁盤を眺めていたが。
「そうだね。俺のミスだ。負けを認めよう」
 あくまでミスと主張し、心の乱れは認めない。
 やはりどこまでもひねくれ者だ。

「龍之介さま、よろしいでしょうか。お茶をお持ちいたしました」

「ああ。ありがとう」

 龍之介の先程の頼みを聞いたメイドが、絶妙なタイミングでお茶を持ってきた。

「少し休むことにしよう」
 龍之介は席を立ち、ティーセットを綺麗にセッティングしているテーブルに移動する。
 琴もそのあとに続いた。
「今日のお茶はダージリンか。香りがいいね」
 煎れたての紅茶に心も踊る。
 ゲームの合間に一息入れるのもまた一興だ。

「おや、龍之介さま、お客さまはもうお帰りになられたのでしょうか」
 変な発言をするメイドに龍之介は怪訝そうに首を傾げる。
 すぐ横に琴はいるのだが。

 ちらりと見遣ると、琴は驚いた表情でメイドを直視していた。

 メイドには琴の姿が見えていないのだろうか。
 こんなにはっきりと目の前にいるというのに。

 天使。

 琴が自らをそう云っていたのを思い出す。
 現実離れした事実を、あまり真に受けていなかったが、つまりはそう云うことなのだろう。

「……今席を外しているんだ。すぐに戻ってくると思うよ」
 にこっとメイドに笑いかける。
 メイドはその笑みが眩しすぎたのか、少し頬を紅潮させた。

「あ、では私はこれで失礼いたします。出過ぎたお言葉、申し訳ございませんでした」
 メイドは一礼すると、慌ててその場を後にした。

 去っていくメイドの後ろ姿を琴はぼーっと眺めていた。

「らしくないよ」

 龍之介は琴の頭をくしゅくしゅと大きな手で掻き回した。
「わっ!」
 いきなりの奇襲を受けて、琴は声を上げて龍之介を見上げた。

 龍之介はにこにこといつも通りの笑みを浮かべていた。

「おまえは不思議なやつだ。最近あまりにそういう場面に出くわさないから気にしていなかったが……」

 琴は目を伏せて俯く。

「私はこの世の存在ではない。だから、私の姿は普通の者には見えない。それだけだ。姫乃も凛太郎もおまえも雪成も当たり前のように私の姿が見えていたが、実際、見えない者の方が多いのだろう」

 ため息がひとつ零れる。
「見えないというのは、自分が何者か思い知らされるから嫌いだ。存在がないように思えてな。少し寂しい気持ちになる」

 龍之介は黙って聞いていたが、ふっと笑みを浮かべて、琴の目線に合わせるために椅子に腰を下ろした。
そして手を伸ばし、そっと琴の頬に触れた。

 突然のことに驚き、琴は顔を上げた。
「少なくとも俺には琴君がここにいることを知っている。それだけじゃ満足できないかい?」

「そんなことは……」

「人間だってね、形はあっても、見えていない人には見えないものなんだよ。興味の対象にならなければ、存在してるかなんて知りもしないさ」
 龍之介は大きく肩をすくめてみる。

 その言葉に琴は救われたような気がした。

「やっぱりおまえは変わり者だな。おまえのような人間にこそ見えない気がするのだが」

 ふっと琴は笑った。

「俺はこれでも好奇心が強い人間だからね。知らなくていいことにも興味があるんだよ」
「現実主義にしか見えなかったが」
 琴は皮肉混じりに唇を尖らせる。

「たしかに、非現実的なものは否定していたかもね。でも、どこか興味があった。否定してしまうには惜しい気がしてね」

「そのわずかな部分が今にいたるわけか。なるほどな」
「まあ、君にとっては悪くないだろう」

「ああ。悪くない」

「……よし。じゃあ、一息ついたら今度は将棋とまいりましょうかね。今なら琴君に勝てる気がするし」
 龍之介は企みを含んだ笑みを浮かべ、目を細めた。
「姑息だな。だが、私はそんなことでは負けはしない。せいぜいすぐに負けないように努力することだな」
 琴は椅子に座り、優雅な模様の入ったティーカップを口元に運んだ。
 贅沢な香りに心の揺らぎが消える。
 こんなにおいしい紅茶を入れる者に、直接礼を述べることもできないが。

 目の前で微笑む友人がいればそれでもいいと思った。

「美味しい」

 友人とのティータイムは贅沢な時間に違いない。

 琴は今ある時間の、大切さが身に染みていた。

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